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「さっちゃんはさ、いじめられていたんだって。今ではあんなに明るいけど、最初来たときはどんよりと曇り空を連れて歩いていたんだよ」
「ちょっと話しすぎじゃないみっちゃん」
ギターを弾いていたれいさんという女性は口の前に一本指を立てていた。
「あっ、ごめんなさいね。のっちゃんが大人びているからつい、目線が同じくらいになっちゃったね」
みっちゃんと呼ばれる女性がはにかむ姿は、同性のわたしが見ても可愛らしいものだった。その気持ちが心に浸透するとき、いつもわたしの顔を確認したくなる。
わたしは本当にわたしとしてそこにいるのかって。
「西谷志乃さんでのっちゃん、素敵ね。遅くなったけど、初めまして、山城玲子って言います。来てみてどうかな?」
心の扉を少し叩かれて思わず体が硬直した。
何も見透かされているような目から逃げる。
「せっかくのかわいい顔が台無しだね。今日のところは帰るかい?」
かわいいなんてお世辞だ。
でも、きっとわたしはかわいくないなんて叫べない。
わたしはその勇気を捨てたんだ。
「今日は帰ります」
「また、いつでも待っているから、ぶらりと来てね」
れいさんの言葉は発砲スチロールみたいだ。
頷いて、初夏の空気が流れる廊下へと向かう。
混沌を背中で感じながら、強張っている肩の力抜いた瞬間、大きな影がわたしの行く手を阻んだ。
俯いていた顔を起きあげると、白髪の男の子がいた。
「おう、わりぃ」
わたしはその言葉に会釈して、夏の空気を全身に浴びながら走り出した。
彼の手に持っていた本。
ソクラテスって書いてあった。
哲学者だったっけ……。
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