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後半
「そうじゃなくて、ぼくは空を飛びたいんだよ~。確かにクローゼット・トンネルは魅力的ではあるけど・・・」
鼻血を抑えるティッシュを鼻に詰めながら、ペセ太が言った。
「死にそうになっておきながら、まだそんなことを言っているのかい? まったく君って奴は、呆れたものだな。それならそうと、最初っから言ってくれればいいのに。話がややこしくなっちゃったじゃないか」
「君が変な所から出てくるからだろ! いくら文字数を稼ぎたいからって、余計なアイテムを無理やり絡めてくるのはやめろよ! ママのパンツまで引っ張り出してっ!」
あまりの勢いに右の鼻に詰めたティッシュが飛び、サダえもんの頭に当たって、ポロリと落ちた。サダえもんは耳をパタパタッとしただけで気にもしていない。
「そんな作者の裏事情はいいの。黙ってれば判りっこないんだから。
そもそも、空を飛びたいってことなら、以前、ヘリトンボを出してあげたじゃないか。あれじゃダメなのかい?」
「ダメに決まってるだろっ!」
今度は左の鼻のティッシュが飛んだ。
「悪霊が現れたと思って、みんながパニックに陥ったことを忘れたのかい?
それに、あんな風にフワフワ浮かぶ奴じゃなくて、もっとこう・・・ ビュッと跳べるやつが良いんだよ。ビュッとさ」
「ビュッとねぇ・・・
じゃぁ、これなんかどうかな? チャッチャチャ―――ン! ウィッチズ・ブルーム~っ!」
「ウィッチズ・ブルーム?」
サダえもんが口から取り出したのは、何の変哲も無さそうな箒だった。
「そう。直訳すればその名もズバリ、魔女の箒だね」
「おぉ~っ! それそれ! そういうのを待ってたんだよ、ぼくは。サダえもんにしては、まともな物が出て来たじゃないか」
「にしてはって言うな。にしてはって」
でもペセ太は不思議そうな顔をした。
「でもさ。魔女なんて実際には存在しなかったんだろ? 未来においても、魔女が箒に乗って空を飛ぶなんて迷信が信じられているのかい?」
「やれやれ、これだから困るんだ」
例によって不明瞭な指を使って、チッチッチとやるサダえもん。
「えぇっ! 魔女って実在したの?」
「モチロンさ。有名なところをザッと挙げると、『サリー』とか『アッコ』とか聞いたこと有るだろ? それから『メグ』ってのもいたな。世界的に有名なのは『まどか・マギカ』だね。あと『キューティーハニー』とか『プリキュァ』とか・・・」
「それ全部、アニメの主人公じゃないか。真面目に聞いて損したよ!」
ペセ太はガッカリ顔で、乗り出した身体を引いた。
「何を言うんだ。そもそも魔女ってのは実体の無いものなんだ。人々の心が作り出す幻想だと言ってもいい。だからアニメだろうと実在する人物だろうと、それを魔女として認識した時点で、魔女という特殊な人格が、そこに上書きされてしまうのさ」
「んん~・・・ 何を言っているのか、難しくて判らないよ。ホントは君も判ってないんじゃないの?」
「ジャンヌ・ダルクって知ってるだろ? 彼女は危機的状況に陥っていたフランスを救った軍人なんだ。世界的にも有名だけど、特に本国においては国難を救った聖女と認知されている。当時の彼女は、オルレアンを侵略していたイングランド軍を見事に蹴散らし、国内では「神の使い」として崇められたほどだったんだ。
その後、ジャンヌはコンピエーニュ包囲戦で捕縛されて、宿敵イングランド軍に引き渡されてしまう。当時は魔女の存在が根深く信じられていたから、『神の声を聞いた』なんて言う彼女を異端者扱いする者が、フランス国内にも居たんだね。
そしてイングランドでの宗教裁判では、先の戦時中に男装をしていたことを理由に異端者認定されてしまうんだ。イングランドにしてみれば、憎きジャンヌを葬ることが出来るのなら、罪状なんて何でも良かったんだろうね。
彼女は、やむを得ず男装していたと訴えたんだが、その証言はことごとく無視されて、死刑判決を受けしまう。そして死刑の中でも最も残酷と言われる火あぶりの刑に処され、19歳という若さで死ぬんだ。彼女は命が尽きる最期の瞬間まで『イエスさま』と燃え盛る炎の中で叫び続けたといわれているよ」
「そ、そんな・・・ 酷過ぎるよ。魔女だなんて在りもしない罪を負わされて、ジャンヌ・ダルクは殺されたって言うのかい?」
自分が火あぶりになっている様を想像し、クネクネと体を捩りながら聞くペセ太に、当たり前のように答えるサダえもん。
「全くもってその通りだよ、ペセ太くん。戦争が終わった後、戦争犯罪者、つまり戦犯というのは、敗戦国側にしか存在しないんだ。戦争に勝った方は、負けた方を腹の虫が治まるまで蹂躙することが許される。
『勝てば官軍、負ければ賊軍』とは、正にそのことを言い表した言葉なんだけど、ジャンヌ・ダルクの場合は、そこに宗教的な妄想が加味されて、更に道理の通じない暴挙が大手を振ってまかり通っていたと言っていいだろうね」
ペセ太はゴクリと唾を飲み込んでから、更に質問を重ねた。
「そ、それじゃぁ、ぼくがこの箒で飛んでいるところを誰かに見られたら、どうなっちゃうんだろう?」
「決して愉快なことにはならないだろうね」
「それじゃぁ、この小説の存在意義が無くなっちゃうよっ! そもそも不思議アイテムなんて、もっての他じゃないか!」
今度はサダえもんが困った風だ。
「君は、たまに的を得たことを言うから、始末に負えないんだよなぁ。顔に似合わず・・・。まぁ、夜に飛べば誰にも見られないんじゃないか?」
「顔は関係無いだろ、顔はっ! 判ったよ。みんなが寝静まった夜中に飛べばいいんだろ?」
ペセ太は憤懣やるかたない、といった風情で胡坐をかいて腕を組んで見せた。
「うん。それが良いよ。でも、そのダイヤルをMax.にしちゃダメだからね。物凄くスピードが出ちゃうんだ」
「物凄くって?」と、両目をパチクリ。
「時速三万キロメートルだ。その速さだと地球の重力圏を飛び出す可能性が有るし、飛んでる雀にぶつかったら、全身の骨が砕けてボロボロさ。そもそも空気との摩擦抵抗が大き過ぎて、身体は黒焦げ間違い無し。きっと跡形も残らない筈だよ。わっはっは」
「わっはっはじゃないよ! バカじゃないの、これを設計した人ってっ!?」
「しょうがないだろ。そういう設計なんだから」
こうしてペセ太は、夜のフライトを決行したのであった。
「わぁ~。夜に空から眺める街って、どうしてこんなに綺麗なんだろう? サダえもんも一緒に来ればよかったのに。バカだなぁ」
夜とは言え、あまりに低空飛行すると人の目に留まってしまうと考えたペセ太は、地上数百メートルといった高度で、街の上空をあちこち飛び回っていた。サダえもんから聞いたジャンヌ・ダルクの話が耳に残り、どうしても危険を冒すことが出来なかったのである。
「おぉっと。あれはヨレすぎ君の家じゃないか。くっくっく。アイツ、お母さんに叱られてるぞ。
いい気味だ。頭が悪い癖に性格も悪いから嫌いなんだよなぁ。明日学校に行ったら、みんなに言いふらしてやろうっと。ウシシシシ」
などと、頭の悪さも性格の悪さも、ヨレすぎに引けを取らない自分を棚に上げて、魔女の箒に跨ったペセ太は、闇夜を切り裂いて音も無く縦横無尽に飛び回る。
あっ、学校があんなに小さく見えるぞ!
電車や車が、まるでミニカーみたいだ!
もう少し高く跳べば、海が見えるかな?
あの山を越えて、隣街まで行ってみようかな?
地上に居ては決して見ることの出来ない景色を満喫しつつ、ペセ太は時を忘れて空中散歩を愉しんでいた。そして気が付いた時には、東の空が薄ボンヤリと明るくなり始めているではないか。
「いけね! 早く帰らないと、みんなに見つかっちゃうぞ。でも大丈夫。この魔女の箒さえ有れば、空を飛んで直ぐに着いちゃうもんね~」
そして方向転換し、自宅に向かってビュッと一っ飛びしたペセタだった。
屋根の上でチュンチュンと朝のひと時を愉しんでいた雀たちが、バッと一斉に飛び立った。その後、スルスルと空中から降りてきたのは、勿論、ペセ太だ。そして二階の開け放しの窓から、音も無く部屋に入ると、サダえもんが鼾をかきながら眠っていた。
ロボットのくせに鼾をかくなんて・・・ て言うか、ロボットが眠ること自体が解せないのだが。しかも布団にまで入って休む必要が有るって、ある意味、現代の機械よりもポンコツじゃないのか?
設計の何処かに致命的な欠陥でも有るのかもしれない、と思わないでもなかったが、ペセ太は夜のフライトに大興奮で、ついついサダえもんを揺すり起こす。
「ねぇねぇ。聞いてよ、サダえもん! 聞いてってば!」
「Zzzz・・・ ん? なんだ、ペセ太君か。どうしたんだい、こんなに朝早く・・・ ひょっとして、一晩中それで飛んでたのかい?」
「うん、そうなんだ! 夜の街って宝石みたいにキラキラしてて、物凄く綺麗だったよ! 今度サダえもんも一緒に行こうよ! 絶対、感動ものだからさ!」
嬉々として話し続けるペセ太に、サダえもんは困った風の表情を向ける。
「えぇっと・・・ あれ? 言ってなかったっけ?」
「言ってないって、何を・・・ あれれれ? おかしいな。身体が勝手に動き出したぞ」
サダえもんの枕元に座っていたペセタは、何故だかすっくと立ちあがる。無論、それは自分の意志ではない。
サダえもんは頭を掻きながら続けた。
「ゴメン、ペセ太くん。その不思議アイテムには副作用が有るんだった」
「副作用? いったいどんな副作用なんだよっ!? あわわわわ。身体が勝手に・・・ 何だ、何だ? 腕が勝手に魔女の箒を手に取ったぞ!」
箒を手にしたペセタが、せっせと床を掃き始めたではないか。何度も言うようだが、それはペセ太の意志とは無関係なのだ。
「そうなんだ。そのウィッチズ・ブルームで空を飛ぶと、飛んだ時間と同じ時間だけ、掃き掃除をしなきゃいけないのさ。ゴメン・・・ 言うの忘れてた・・・」
両目を剥いてペセタが叫ぶ。
「何だよ――っ! それじゃ、今日一日、掃除し続けなきゃならないじゃないか――っ!」
「まぁまぁ、今日は土曜日だし。そうやってお手伝いするのも悪くないんじゃないか? 悪いけどぼくはもう少し眠るから。お掃除、頑張ってね~」
そう言ってサダえもんは、再び布団を頭からかぶるのだった。
「このポンコツロボットめっ! 憶えてろよ――っ!」
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