雪の中の足跡

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雪の中の足跡

女子大生の河井菜々子ちゃん、倉本かなめちゃん、小澤比奈ちゃんの三人と私は、談話室でお喋りをしている。 「へぇ、凜ちゃんは女子高生なんだ。大人っぽいから女子大生だと思った」 河井菜々子ちゃんが言うと残りの二人が頷く。 「ねえねえ、凜ちゃんは検定受ける?」 倉本かなめちゃんはスキーの検定で取ったバッジを見せてくれる。小澤比奈ちゃんが続ける。 「かなめちゃんは去年二級取って今年一級取ったんだよ。凄いよね」 へぇ、倉本かなめはスキーの検定を受けに来てるのか…。 「凄いですね。確か二級取ってからじゃないと一級受けられないんですよね?」 私はかなめちゃんが見せてくれたバッジを手に取り、眺める。うん?バッジの後ろ側の安全ピンの留め具がない。指を刺したら危ない。まさか…。先端に毒でも塗ってあるのか? 警戒して不自然にならないようにバッジから手を離す。かなめちゃんも他の二人も表情を変えずにニコニコしている。 「そうだよ。二級受けないと一級の受験資格がないから。凜ちゃんも検定受けてみたら?三級は少し滑れれば受かるし」 三人の表情を注意深く観察しながら私は少し悩んだ素振りをしてから、 「そうですね。せっかくスキーに来てるんだし、三級くらい受けてバッジ欲しいです」 三人に話を合わせる。スキー検定についての話で盛り上がっていると、談話室のすぐ側にあるガラス窓が突然割れた。 「きゃっ!」 「えっ?何これ?」 「危ない、破片が散らばってる」 三人は興奮した様子で急に立ち上がる。そのリアクションは戦闘に不慣れの素人そのものだ。しかし、これすら演技かもしれない。 私は恐る恐る割れた窓に近づく。窓の外では肌を切り裂くような風が吹いている。 「かまいたちだわ…人の肉すら切り裂く風」 河井菜々子ちゃんが呟く。するとかなめちゃんが首を横に振る。 「菜々子は都会出身だから知らないのよ。かまいたちなんて伝説で実在しない。見て、窓の外に足跡があるわ」 「本当だ!ねえ、なんかスキー靴みたいじゃない?あの足跡!」 比奈ちゃんが足跡を指差して興奮している。 確かに、普通の靴ではなくスキー靴の足跡だ。 談話室の時計を確認するとまだガラスが割れてから五分も経っていない。 「追いかけて犯人を捕まえましょう」 私はすくっと立ち上がり、談話室を抜けて玄関の方へ向かう。 「凜ちゃん、危ないよ。こういうときは警察に任せた方がいい」 菜々子ちゃんが私の腕をつかんで止める。 「現行犯、逃亡の恐れがある、氏名住所を知らない、軽微な犯罪である、私人逮捕の要件は満たしています」 比奈ちゃんが目をぱちくりさせて、 「凜ちゃん高校生なのに法学詳しいね、凄ーい。賢いんだね」 のんびりした口調で言うと、かなめちゃんが冷静に嗜める。 「構成要件は満たしていても、器物損壊の犯人を捕まえるなんて無謀だわ」 私は三人を振り切って、スキーのストックを片手にペンションの外へ出る。三人の女子大生が罠を仕掛けた犯人なら、きっとこの人目のない外にいる私を狙ってくる。 窓を割った仲間が別にいるなら、最低でも敵は4人以上。気を緩めれば命はない。 玄関から時計周りに割れた談話室の窓まで歩く。そして、窓の側から伸びている足跡を辿っていくと、ペンションの側にある雑木林へと続いている。 懐に隠した銃に手を掛けて、安全装置を外しておく。もう一歩足を前に進めたその時…。 ビヨーン。 間抜けな音がして、私は網に絡め取られて木の上に吊し上げられた。 え?何よ、この古典的な動物に仕掛けるみたいな罠は。おかしい。注意深く足を進めたはずなのに、どうして? 「そこまでよ、下都賀凜!」 菜々子ちゃんが仁王立ちのまま、いつの間にかライフルを構えていた。 「あなたは一体?」 「上都賀桜よ。下都賀家が陰の一族なら、我が上都賀家は光の一族。代々警察一家、こっちの二人は、梅と桃。私の妹よ」 「桜、梅、桃、とてもゴロが良い三姉妹ね」 私は網の中でもがきながら笑う。 「日本には優秀な警察がいる。下都賀家のような陰の一族は現代においては用済みなの。光の一族である上都賀家が警察にいる限り、この国のは安泰よ」 私は両親から聞いた上都賀家と下都賀家の話を思い出した。茶道に例えるなら、表千家と裏千家のような関係の上都賀家と下都賀家。警察一家の上都賀家は、法の秩序の外で働く下都賀を宿敵として、隙あらば命を狙ってくる。 「そうかしら?あなた達上都賀家だけじゃ頼りないけど?」 三姉妹を睨み付けると、次女の梅が鼻で笑う。 「強がっても無駄よ。身動き取れないまま、あんたはお姉さまに蜂の巣にされる」 末っ子の桃がちょんちょんばねして喜ぶ。 「罠の腕はお姉さまより私よね。下都賀家の次期当主が気づきもしない」 長女の桜がライフルの引き金に指をかける。 詰めが甘いのよ。私は手首の内側に仕込んだナイフで網を切り裂いて、木の枝を足掛かりに雑木林を飛び回って逃げる。 「お姉さま!」 「無駄よ、この林は桃が仕掛けた罠だらけ」 梅の声に桜が答える。私は耳を澄ませる。下都賀家の人間は視覚、聴覚も並外れている。耳を澄ませば、風雪の音以外の不自然な音を拾えるはず。 かまいたちのような風に紛れて、釣り糸が風に跳ねる音が微かに聞こえる。なるほど、さっきの罠は透明なテグスね。 音を頼りに罠を避けて、雑木林を抜けて営業時間が終了したスキー場に逃げる。 倉庫の鍵をピッキングして、スキー場のスノーモービルを拝借する。スノーモービルを走らせて、隣のスキー場へと逃げる。隣のスキー場はまだ営業していて、ナイターの真っ最中だ。 つまり、人目があって私を殺そうとすると、目撃者が出てくる。 スノーモービルを高速で走らせていると、連絡通路の上に伸びている隣のスキー場のクワッドリフトから、何かが降ってくる。 「凜、無事か?」 クワッドリフトのスキーやスノボを置く足乗せから、叔父様が私が運転するスノーモービルにダイブしてきた。 「叔父様、いつの間に!」 「あの三人の部屋を調べたら物騒な武器ばかり出て来てな。凜が隣のスキー場に逃げ込む前に、あいつらカタをつける気だ」 「え?じゃあ網から簡単に逃げられたのは?」 「それも罠だ!運転変わるぞ!しっかり捕まってろ」 叔父様がスノーモービルのハンドルを握ると、急加速して、ハンドルを谷側に切る。 「叔父様、そっちは崖よ!」 「連絡通路に爆弾が仕掛けられてる!」 「でも落ちたら助からない!」 「渡り切れば、旧道の国道だ、行くぞ!」 スノーモービルが宙を舞い、勢いよく向こう側の森に突っ込む。バキバキバキという樹木の折れる音が続く。私は振り落とされないように叔父様にしがみつく。 車が通らない国道の旧道に出ると、麗子さんの真っ赤なスポーツカーが見えた。 「さあ、乗って!飛ばすわよ」 麗子さんは雪の山道だというのに、急加速で車を走らせる。 後ろから上都賀三姉妹らしきジープが追いかけてくるが、麗子さんのF1ドライバー顔負けの運転で、あっという間に引き離してしまった。 私が車の中から後ろを振り返ると、雪道に轍が出来ていた。 「遅くなってごめんな」 叔父様は隣にいる私の肩をしっかりと抱き寄せる。 「これからは五分前行動でお願いしますよ」 私がウィンクすると、 「凜が無事で良かった、本当に」 叔父様は真剣な顔つきで私を見つめた後、真っ正面からギュッと抱きしめてきた。 どぎまぎしている私は、何も言えない。 「あら~淫行の現行犯!ロリコン!私人逮捕しちゃおうかしら?」 麗子さんがバックミラー越しに茶化してくる。叔父様はジャンパーの内側からサイレンサー付きの銃を取り出してバックミラーを撃ち落とす。麗子さんが大切にしている愛車のバックミラーは粉々になってしまった。 「ちょっと!弁償してよね!」 麗子さんが憤慨しているのも構わず、叔父様は抱きしめたまま、私の髪をずっと撫でていてくれる。 私はそっと叔父様の背中に手を回して、ジャンパーがシワになるくらい、力を込めて抱き返した。 良かった、生きている、二人とも。 安堵の涙が自然と零れた。 (終)
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