01.輝、異世界に転生する

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20××年、都内郊外某所。 比較的交通量の多い交差点にて。 左折のトラックに巻き込まれて道路に倒れ込んだ深町 輝(ふかまち てる)が最後まで握りしめていたのは、保育園の送迎時に使う保護者証だった。 最終降園時間は21時ぴったり。それまでに保護者証に内蔵されたタイムカードを押さないと、利用違反で退園させられる。 つぐみ保育園は登降園時間には鬼のように厳しく、1秒の遅れも見逃してくれないが、手作りの温かい給食とおやつ、別料金だが夜食も提供してくれる。以前に通っていた無認可保育園のように、朝からずっと同じおむつでお尻かぶれになってしまうこともないし、お昼寝がコットなので持ち運びが綿毛布とシーツだけなのも助かる。幼児用の掛敷布団と着替え・タオル・洗濯もの一式・使用済みおむつと寝入ってしまった息子を抱えて帰るのは、なかなか骨が折れた。 だから。退園させられるわけにはいかない。 今日は、特定クレーマーのF氏が嫌がらせのように営業時間終了間際の18時58分に電話をかけてきて、ねちねちと同じ内容の罵倒を繰り返しながら90分もの長電話に付き合わされたのが痛かった。営業5課で唯一まともに仕事をしてくれる派遣社員の平目さんが体調不良で早退してしまったのも地味に効いた。 おかげでいつもの帰宅電車に乗り損ね、イライラしながら次の電車で最寄り駅に向かい、着くなり駅から猛ダッシュして保育園を目指す途中、信号が点滅し始めてたけどイケるだろうと赤に変わる直前に飛び出したから、… トラックが視界の隅に一瞬だけ映り込んだ。 跳ね飛ばされた衝撃はなく、ただ本当に自分の身体が空中に浮遊して、スローモーションで地面に落ちていく感覚があった。今際の際とか、幽体離脱とか、映画やら漫画やらで自分で自分を上から見下ろしている映像を見たことがあるけれど、それって本当なんだな、という感慨と、こんな風にゆっくり落ちてる場合じゃないのに、という焦りがないまぜになる。 柊羽が俺を待っている。 …柊羽(しゅう)、すぐ行くからな。もう、すぐ、…だから。 深町輝が31年間の生涯最後に手にしていたのは保育園の保護者証で、最後に脳裏に思い浮かべたのは、3歳になったばかりの愛息子の顔だった。
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