噓は警察の武器

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 「なあ、お前もいい大人だろ。こんなのなんの意味もないことくらいわかるだろ。」  「・・・」  警察官である俺は今、取り調べ室にて容疑者と向き合っている。  「『佐藤亜流貴 お前だけは絶対に許さない 俺がこの手でお前を殺す』これ、お前が送った脅迫状の内容で間違いないよな?」  「・・・」  鼻あてが片方ない眼鏡に、特徴の無い髪型。地味な色のネルシャツに身を包んだどうも陰気臭い男は、何も答えない。  「普段から真面目な働き者で、ギャンブルやら借金やらのトラブルともまるで無縁。そんなあんたがどうしてこんな馬鹿な真似をする?こういう言い方が正しいかわからんが、もったいないないぜ、こんなことで警察の厄介になるのは。」  「・・・あなた方警察みたいな噓つきは、きっとわかってくれません。」  ようやく男はその重い口を開き、静かに呟いた。  「噓つきは心外だな。俺たち警察は噓つきから始まった泥棒を取り締まるのも仕事なのに、その泥棒と同じような扱いされるなんて。」  「とにかく、私の気持ちをわかってくれる人なんて誰もいないっ!」  「ああ、わからねえよ。ラノベの主人公に脅迫状送る奴の気持ちなんて。」  取り調べ室に沈黙が訪れる。男はその間俺を睨み続けている。  「デコポン氏原作の人気ライトノベル『幼馴染の巨乳ロリと学園のマドンナから結婚を前提とした交際を同時に申し込まれた俺はどうすればいい?』略して『コンドウ』の主人公である男の名前が佐藤亜流貴。あんたはこの作品の出版社に佐藤亜流貴宛ての脅迫状を送り付けた訳だが・・・一回取り調べとか忘れて、シンプルになんでこんなことしたのか教えてくれないか?個人的に気になる。」  「くそ、タイトルを聞くだけでイライラする・・・刑事さん、あなたはその長々とした下品なタイトルを口にしてどんな気持ちになりました?」  「どんな気持ちって、別になにも思わない・・・」  「嘘だ!そんなはずがない!こんな下品なタイトルを見れば誰だって怒りが湧いてくるはずだろ!」  俺の言葉を食い気味に遮り、男はよくわからないが興奮状態になる。  「まあまあ落ち着いてよ・・・とにかく、まずは動機の部分について聞かせてくれ。」  自らの怒りを鎮めるために一度大きく深呼吸をした男は、素直に動機について語り始めた。  「私は幼い頃から今と似たような見た目でした。極度の近視を矯正するためにレンズの厚い眼鏡をかけ、散髪は千円カットで済ませる。派手な服装は出来るだけ避けて、地味な服を選び続けた。幸いなことにいじめられた経験はありませんが、友達だって少ないし、ご想像の通り童貞です。」  基本は丁寧な口調ながら怒ると我を失うという一番面倒なタイプであることが発覚してきたが、とりあえず黙って男の話に耳を傾ける。  「それでも真面目に勉強をしてきたことが報われてか、今現在はちゃんと勤め先もあって、慎ましい生活を送る上ではお金にも困っていません。そんなある日、会社から一冊の本を用意するように頼まれました。別にネットで注文してもよかったですが、久し振りに本屋に行きたい気分だったため、私は近所の本屋に足を運びました。そして目的の本を見つけ、折角だからと本屋を一周していると、私はライトノベルコーナーにたどり着きました。昔からアニメや漫画に精通していなかった私は、怖いもの見たさにも似た感情で、目に留まった一冊の文庫本を手に取りました。」  「それが『コンドウ』だったと。」  「そうです。台詞も多いし分量自体も多くないから立ち読みでも簡単に読めましたが・・・はっきり言ってその内容には失望しました。」  やばい、また男が興奮状態に陥るかもしれない。そんな警戒心を強め、俺は続きを聞く。  「面白いとか面白くないとか、文学としてどうとか、そんな偉そうなことを言うつもりはありません。ただクラスカースト最下層を自称し、友達もいないと言っている主人公が、周りに一目置かれるような美女にちやほやされるという内容がどうしても納得いなかった!」  「そうか、それで?」  いやどこにキレてるんだよ。そうツッコミたい気持ちをなんとか押し殺し、男の話を引き出すための相づちを打つ。  「主人公と同じようなポジションを学生時代に経験した私は、大人になった今でも女性と目を見て話せません。なのにこの主人公は、理由もなく女性にちやほやされている・・・こんな姿を見せられたら、私のような陰キャ童貞は平静など保ってはいられません。」  もはや男は怒りを通り越し、哀愁漂う笑みを浮かべている。  「・・・刑事さんは、好きな食べ物って何ですか?」  当然の質問に俺は動揺したが、どうやら答えないと先に進めないらしい。  「好きな食べ物?ハンバーガーとかかな。」  「そのハンバーガーを目の前で子供が美味しそうに食べていたらどんな気持ちになりますか?」  俺は頭の中で指定された情景を思い浮かべる。  「どんな気持ちって・・・子供可愛いなとか、口元にケチャップついてるなとか、それぐらいだけど。」  「やっぱり、普通の人はそう答えますよね。」  意味深な言葉と共に、男は笑う。  「如何にも自分は普通じゃないみたいな言い方だな。」  「いえ。もし今話した状況が実際にあれば、私も刑事さんと同じような気持ちになるでしょう。ですが今のはあくまで例え話です。私が言いたいのは、もし三日間飲まず食わずの人間が自分の好物を目の前にすれば、子供の食事であったとしても冷静さを失い、最悪の場合略奪行為に訴えてしまうということです。つまり、陰キャ童貞であり欲求不満を生きてきた年数の分だけ溜め込んでいる私が、例えフィクションだとしても私に似た人間が女性にちやほやされている姿を見て我を失うのは、空腹でおかしくなった人間が他人の食べ物を見て冷静でいられなくなるのと似ていると言いたいのです。」  さっきから何の話をしているのだろうか。そんな疑問は時間と共に増すばかりだが、男の話は止まらない。  「一度私は、所謂オタクになろうと決意した時期もありました。アイドルやアニメに傾倒し、お金もじゃんじゃん使いました。そうすればいずれ愛着も湧いてきて、こんな誰にも理解してもらえない虚しさも誤魔化せると思ったからです・・・でも駄目だった。好きとか嫌いとか以前に、単純に興味がない。どれだけ外堀を埋めた所で、私の心は最後まで首を縦に振ることなく、今までの趣味を求め続けました。」  「ちなみに今までの趣味というのは?」  「夏はサーフィン、冬はスノーボードをやっています。特に年末年始の休みはぶっ続けで滑り続けます。」  その見た目で趣味めっちゃアウトドアじゃねえかよ。てかそんなかっこいい趣味なら女にもモテるだろ。もはや笑いをこらえることに必死になっていた私をよそに、男は深いため息を漏らす。  「オタクになれたなら、私はどれだけ楽だったか・・・」  「・・・あんたがオタクになろうと思っていた時、どんな気持ちでアイドルやアニメを見ていた?」  「そんなの、決まっているでしょう。自分が可愛いと思う子やキャラクターを見つけて、それにどれだけお金を払って愛着を持つか。それだけですよ。」  「そんな気持ちじゃ、そりゃオタクになんてなれねえよ。」  俺の説教口調に驚いたのか、きょとんとした顔で男はこちらを見てくる。  「確かに、オタクになるきっかけとしてビジュアルというのは非常に重要だ。一目惚れにも似たような心境で思わず姿を追いかけてしまう。それがオタクの第一歩かもしれない。だけどな、オタクっていうのはそれだけじゃねえんだよ。アイドルなら、中心メンバーになれるかどうかの人気競争の中で戦い続け、その競争に勝ったとしても、今度はグループとして人気を勝ち取るため様々な試練が待ち受けている。人気グループになった噓か本当かわからない噂話がつきまとい、時にスキャンダルに巻き込まれることもあるだろう。そんな山あり谷ありの平坦とは程遠い、先に明かりがあるかもわからない道を必死に進む姿に心を打たれ、人間ドラマに魅力されたからこそ、オタクというのは幾ばくかの金銭を謝礼として支払う訳だ。金銭を支払う理由は、無理やりオタクになるための通過儀礼でもなければ、グループの株主面して偉そうに意見する為でもねえ。感謝なんだよ。」  ただただ呆然と俺の話を聞き続ける男を前に、俺は止まることなく語り続ける。  「二次元のキャラクターには、時に人間を相手するよりも感情移入してしまう瞬間がある。当然アニメのキャラクターになっても人気争いが発生する訳だが、人間とは違い仮に不人気のレッテルを貼られたとしても、そのキャラクターは悲しむこともなければふてくされることもなくただただ今までと変わらない表情を見せてくれるんだ。もちろん声優などそのキャラクターに携わる方々は人気が得られない結果に気持ちを沈めるかもしれないが、開き直りが新しいキャラクターの開拓につながるかもしれないアイドルとは違い、二次元のキャラクターとそこに関わる人たちは基本、何事もなかったかのように振る舞わなくてはならない。そんな健気な姿を見たなら、応援するなという方が無理な話だ。」  「刑事さん、あなたまさか・・・」  「ああ、そうだ。俺はオタクだ。」  衝撃を受けたのか、男は思わず天を仰ぐ。  「あんたもきっと辛い思いをしたのだろうが、オタクっていうのは自分に噓をついてなるもんじゃねえ。きっとその時が来ればあんたも心から応援して、感謝をしたくなる時がくるはずだ。」  「・・・はい。」  「もうこんなことはしないと約束出来るな。」  「もちろんです。私は知らない間にオタクの世界を勘違いしていました。もう二度とこんな過ちを犯さないと誓います。」  結局何の話が響いたのかわからないが、男はひどく反省した様子だった。あの様子なら、もう二度と警察の世話になることはないだろう。  「もしもし、ケイスケ?今例の脅迫状送った男の取り調べが終わって・・・そうか。今はケイスケじゃなくてデコポン先生か・・・馬鹿にしてねえよ。うん、うん、案の定性根が腐ってる奴じゃなかった・・・うん、出版社もそこまで問題視はしてないか。まあそうだよな・・・あ、お前からオタクのいろは聞いていてよかったよ。俺、オタクの世界とか何にも知らないからさ・・・そう、マジで興味ねえし・・・え、これをきっかけにオタクにならないかって?冗談よせよ。なるわけねえだろ。」    
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