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 翌日、南署の大会議室に捜査本部が立ち上がった。  捜査本部の形式的なリーダーは県警本部刑事部長ということになっているが、実際に具体的な方針を決めて指揮を執るのは管理官だ。  山崎はさっそく第一回目の会議で、捜査一課と南署の警察官の混成部隊を、現場周辺の聞き込みをする地取り班と、被害者の人間関係を洗う鑑取り班に割り振って、出動を命じた。  犯行現場では昨日から鑑識活動が続いている。  被害者は六十八歳の男性、無職。配偶者とは数年前に死別、郊外の戸建てで一人暮らしをしていた。  隣の市で離れて暮らしている被害者の娘が、3日前から実家の固定電話に何度を掛けても一向に出ないことを不信に思い、帰ってきたところを死体となっている被害者を発見した。  検死の結果は、電気コードにて首を絞められたことによる窒息死。死後一週間ほどが経過しているということだった。  被害者の両手の爪の隙間から、犯人のものと思われる皮膚片と血液が見つかっている。おそらくもみ合っているうちに首を絞めている犯人の前腕あたりを引っ掻いたのだろう。  皮膚片はすぐにDNA鑑定に出されたが、警察のデータのなかに一致するものはなかった。ということは、犯人に前科はない。  現場には複数の指紋や毛髪も発見されているが、犯人のものと断定できるものは見つかっていない。 「やっかいなことになりそうだな……」捜査員が出払っていて、がらんとした大会議室のなかで山崎はそうつぶやいた。  今のところ、物盗りによる犯行の可能性が高そうだ。  しかし、第一発見者である被害者の娘に聞いてみても、被害者が貴重品を家のどこに置いていたか、あるいはどれくらいの現金を置いていたかを知らないということだったので、具体的に何が盗まれているのかはっきりしない。被害者がふだん使用していた財布は、一階の和室にて発見されている。紙幣はなく、600円ほどの小銭が残されているのみだった。  凶器として使われた電気コードは、被害者宅にあったもので、犯人はあらかじめ凶器を用意したのではなさそうだ。突発的な犯行なのだろう。  顔見知りの怨恨による犯行の可能性も捨てきれない。  昼になり、捜査に出た者からいくつか報告が上がってきたが、犯人につながりそうなものは皆無だった。  さて、どうしたものか。  山崎が思案に暮れていると、鑑識の(あずま)警部が大会議室に入ってきた。 「管理官、ちょっとよろしいでしょうか」 「なんだ、何かわかったか?」 「被害者宅の下足痕(げそこん)のことなんですが」  東は山崎の机の前に手に持っていた紙を広げた。 「まだ、下書きの状態ですが、あとで日報にちゃんとしたものは書いておきます」  見るとそれは、手書きの被害者宅の間取り図だった。遺体発見現場である一階のリビングには、遺体を表す記号が記してある。 「犯人は土足のまま現場に侵入していますね。わずかな土埃から多くの下足痕が採取できました。これで犯人が現場のなかをどのようにうろついていたか、おおよそ判明します」 「ほう……」  東は間取り図の上に赤鉛筆で足あとのあった場所を線を引いて示した。その線は、建物の一階だけでなく二階にも描かれる。  一通り眺めてから、 「ということは、玄関には足あとは残ってないのか?」と山崎は言った。 「ええ、今のところ採取できていません。一階風呂場の脱衣所の窓付近に多く残っていましたから、ここから侵入してここから出たものと思われます。戸外の部分は、先日の降雨で消されたようですが」 「突発的な強殺であるのはほぼ確定だな」  怨恨による殺人の可能性は極めて低くなるため、鑑取り班のうちのいくつかを地取りに回すべきだろう。 「犯人の靴底は、多少摩耗しているものの、比較的新しいもののようです。サイズは26.5センチ。男と見て間違いないでしょう。靴のメーカーや品名もすでに判明しています」 「もうそんなことまでわかったのか」 「靴底に特徴があるものですから。N社のXR-0100Wというものです」 「XR……?」どこかで聞いたことある、と思いながら山崎は記憶を掘り起こす。「それってもしかして、4万円くらいするランニングシューズじゃないか?」  XR-0100Wは2年前にN社が開発して、それを履いた選手が1万メートルの世界新記録を出し、にわかに有名になったシューズだった。シューズの両サイドに蛍光色の黄色の線が入っていて、かかとの部分も黄色くなっている。 「ええ、おっしゃる通りです。全世界で販売されている製品ですから、手がかりになるかどうか」  ランニングシューズは、その用途から必然的に長距離を走ることになるため、消耗が早い。4万円もするものは、素人にはなかなか手を出せるものではない。それを使うものは、プロか金持ちか、上級者に限られるだろう。 「市内のスポーツ用品店の販売履歴を調べる必要がありそうだな」  大会議室に、二人の警察官が帰ってきた。  鑑取りに出ていた、捜査一課強行犯係の木澤警部補と、南署刑事課の藤本巡査部長だ。  木澤は山崎に近づいてくると、 「被害者の勤務していた会社で元同僚に話を聞いてみましたが、収穫なしです」と言った。 「ご苦労」山崎はそう言って、藤本巡査部長のほうを見た。「君はちょっとすまないが、南署管内でここ3か月のあいだ、ひったくりや空き巣があったかどうか、調べてくれないか。今回の件と関係がある事件があるかもしれない」 「ここ3か月で、空き巣はないですね。ひったくり事件が6件発生しています」藤本は即答した。「自分は盗犯係ですので」 「よろしい。そのうち、犯人が男のものは?」 「6件ともすべて、男の犯行だったと被害者が証言しています」藤本はすべて記憶しているらしく、スラスラと答える。 「バイクや自転車を使ったものは?」 「バイクはありません。2件が自転車で、残り4件が徒歩で歩いているときにひったくられて、犯人が走って逃げたというものです」 「その4件は、すべて単独犯だな?」 「はい」 「いちばん古いものは?」 「先月の2日、駅から北に2キロほど離れたオフィス街の路地で発生したものですね。被害者は50代の女性です」 「よし。その4件の被害者に連絡を取って、もう一度犯人の姿かたちを詳細に確認してくれないか」 「かしこまりました」  山崎は木澤のほうを向いた。 「木澤警部補はすまないが、運転手をやってくれ。ちょっとスポーツ用品店に聞き込みに出たい」
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