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目の前で立ち止まったのは、真っ白な光を纏う数人の人だった。
こちらには目もくれず、地面に開いた穴を上から覗き込んでいる。
「あれ、隙間ができていますねぇ」
「あぁほんと、珍しい」
特徴も抑揚もない全く同じ声で、その人たちは会話する。
声だけではない。
コピー&ペーストをしたように、全く同じ背格好、同じ顔立ち。全員全く同じ白い衣類を身につけて、同じ表情を浮かべている。
「人がたくさん見えますねぇ」
一瞬ぎょっとしたが、彼らの視線は地面の下に注がれている。
ホッと一息ついて、人? どこに……。と思ったが、よくよく見れば確かに人と思われる粒がたくさんうごめいていた。
本当に雲の上に来てしまったのだろうか。まだこの非現実的な体験を受け入れられず、ぼぉっと粒の動きを見つめるほかない。
せわしなく動き回る粒の中に、特に目を引くものがあった。白いごく小さな四角の中に、いくつかの粒が入っていく。
――あれ?
もっと見えるようにと目を凝らそうとしたちょうどそのとき、隙間は埋まってしまった。世界は再び白ばかりになる。
――なんで目を凝らそうとしたんだっけ。
なんだか頭がうまく働かない。少し前のことが思い出せない。
「埋まってしまいましたねぇ。残念です」
そうですねぇ、と口々に言う白い人々は、何度見ても個性がなく、光のクローンのようだ。
そして、こちらには一切の気を留める様子がなかったそれらだが、とうとうこちらを見た。目が合ってしまった。
「あれ」
のけぞりそうになるのを堪えながら、真っすぐにそれらを見つめ返す。
「あなたは……?」
相手に敵意は感じられない。しかし、あり得ないものを見たというような静かな驚きが伝わってくる。
一瞬、それらはこちらに聞こえないくらいの声で一言二言言葉を交わした。そしてまたこちらに向き直って、首をかしげる。
「どちらからいらっしゃったのでしょう?」
そのおどけたような表情は、決して悪い人には見えなかった。ただ、発言者の後ろに立つ人々も全く同じ表情を浮かべているものだから、どうしても不気味だ。
さて、来た方向を指し示そうと、黙って人差し指を一本立てた。そして――。
(あれ?)
動きが止まる。
(どこから来たんだっけ)
頭が働かない。
ここはどこだっけ。あぁそうか、雲の上だったか。
ならばここに来る前はどこにいたのだろう。思い出せない。最初からここにいたんだっけか。
そういえば、ここに来るまで、しばらく歩いてきた気がする。
そうだ、その足あとを辿れば、歩き出した場所には着けるはずだ。
後ろを振り返った。
しかし、何もなかった。
白い地面しかなかった。
煙のような不明瞭な地面がずっと遠くまで続いている。歩いてきた跡などどこにも見当たらない。
歩いてきたというのは、思い過ごしだったのかもしれない。……本当に?
――だから、足あとは歴史そのものなんだって。
誰かのその言葉が真実で、ここまで歩いてきたというのも記憶違いでないのなら。
(足あとが……歴史が、なくなっているのか?)
もしそうならば一大事だ。同時に、その発見と同じくらい、重要な気づきがあった。
(恐怖もなくなっている?)
恐怖が湧き起こらない。あの、心臓が喉の奥から出てきそうな高揚とも戦慄ともつかないいつかの感覚は、その片鱗さえ見せない。
心臓を、どこかに置いてきてしまったかのようだ。
恐怖だけではない。他の感情も、しぼんでどこかに落ちていった感じがする。
もう一度、光のような人たちに向き直る。
(歴史がないから、みんな同じなんだ)
突然に、スゥっと腹の底に落ちてきた。それぞれが自分史を持っていないから。1で生まれたら1にしかなれないんだ。
であれば自分はどうなのか。足あとが消えている自分も、”1”に戻るのか。
そっと自分の身体を確認してみれば、それが白い衣服を纏う量産された存在になりかけていることが容易に確認できる。
(過去も未来もないから、苦しむことも期待することも、怖がることもないんだ)
ふらつきつつ立ち上がり、光の人たちに一歩近づく。
きっと自分は今、真っ白な服を着て、中性的な顔立ちで、感情の無い微笑を浮かべているのだろう。前に立つ人の顔を見ていれば分かる。
みんな一緒って、どんな世界だろうな。争いもなく、山も谷もなく、平和な世の中で生きていけるのか。
一切の感情がなくなれば、どうなるだろう。もはや思い出すことさえままならない、あの自己嫌悪や漠然とした不安から解放されるのだろう。
なんて素晴らしい。ここは白い楽園だ。
一歩、また一歩と、前へと歩みを進める。だんだんこの地面にも慣れてきて、安定して前に進めるようになる。
前に立っていた人たちがプログラムのように左右に分かれ、中央へと誘う。内側へと歩を進めると、おもむろに取り囲まれた。
いや、取り囲まれた、のだろうか。自分は今、どこにいるんだろう。
自分は今、中央にいるのか、いや、右、ではなく、左に……。違う、ここにいるすべてが私であり、私ではない――。
何もわからなくなる。それでいい。これで平和な世界で暮らせる。これでもう何も苦しむことはない。
――でも、それって。
思考が止まる。体の内側から、何か声が聞こえた気がする。
その直後、何が起こったのか一瞬わからなかった。体が浮く感覚がして、内臓がすべて取り残されながら体が思い切り引っ張られるような。
落ちているんだ。雲の上から。
叫ぶ間もなく、すぐに意識も宙へと取り残されていった――。
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