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好きっていいたい 2
年が改まった。
「「せーの!あけましておめでとうございます」」
ふたり対峙して、大真面目に頭を下げ合う畏まった挨拶は毎年のこと。
「……っふ、ぁははははは……」
照れ臭さ60%、可笑しくて深夜に構わず笑ってしまうのも恒例だ。
「何で、こんなことするようになったのかな?」
「実家の決まりっつーか、これやんねーと正月がキターって気がしねぇんだよ」
「どうして、俺が付き合わされてんだ?」
「俺一人で、どこ向いて挨拶しろってんの」
いいから食えと、虎は食べかけの蕎麦を指差した。きっかり、0時。
毎年、蕎麦を食べていようと作っている最中だろうと、電話中もトイレもお構いなしに声が掛かる。虎の実家は老舗の旅館で、正月の挨拶まわりも欠かさない、ちゃんとした家なんだ。
「蕎麦、いい味してる」
「トーゼン。俺の腕がいいからな」
汁を飲み干す勢いの俺に満足げに目を細めた虎は調子づく。
ふわっふわの玉子とじが夜更けの腹に優しくて、柚子の皮を刻んだのが仄かに香って爽やかだ。わざわざ、枕崎の木枯れ節を手配する拘りようといい、本当に食に対して貪欲なヤツだと思う。
「あんまり舌が肥えたら、どうしようって思うよ」
「何で?いつでも、作ってやるじゃん」
「ぁ、うん……。そうだね、期待してる」
意味が違うんだけど、今、話すことでもないから呑み込んだ。
跡取りの一人息子が女将になる嫁さんを迎えて旅館を盛り上げてくれる日を、彼のお母さんが心待ちにしていることを俺は知っている。虎の味に慣れてしまったら、いつか独りになった時、俺は何を旨いって思うんだろう……?
ドガッ!
「……っ痛」
炬燵の下で脚を突き蹴とばされた。
「っぶな……虎、なんっ……?」
何だよ、と言いかけて追い討ちの足蹴りをもう一発食らった俺は、手を温めていた余熱の丼鉢を離してしまい、それはゴトンと音を立てて天板の上で揺れた。
「俺、もっと上達して、一生、満足させてやんよ?」
「へ?」
「年越し蕎麦。あと50食、いや、100食、目指しちゃう?」
虎はニイッと笑って、向こう側から俺の両手首を挟みこむように掴んでくる。その眼は本気だ。言うことの大半、大雑把で根拠がなかったり突拍子も無かったりする虎が、たまに見せる本気の静かな光を宿した眼だ。たとえ、言っていることがやっぱり途方もなくても、言霊のように信じさせてくれる……そんな瞬間が虎にはある。目頭がカッと熱くなって、ヤバい、コイツ好きってなったけど、今、口を開いたら、みっともないことになりそうで俺は困ってしまった。
「虎ってカッコいい!今のはズルいわ、惚れ直しちゃう、とか思った?」
「思、うわけないだろ」
「お前、顔、赤いよ?」
「嘘だ」
「赤い赤い」
「うそだ」
「……うん。嘘だな」
子供を諭すように嘘にしてくれた虎に胃や鳩尾でも火がついた。
「手首細ぇ、ツルッツル」とか言って俺の手を弄っている虎が、体温の高い手で指を一本一本マッサージするように開いていく。思わず手を引っ込めそうになるのを絡められた五指に阻まれ、ギュッと握られた。その指先が割れてガサガサに荒れているのを愛しく思う。美容師という仕事柄、客に不快な思いをさせないよう指先のケアは一入、念入りな虎が、それも追いつかないほど忙しく頑張っているのは、やっぱり、すごくカッコいいと思う。
「……嘘。ちょっと思った」
「え?」
「さっきの……少し思った」
「俺ってカッコいい」
「うん」
「マジ?」
「少し」
「そこ大事?」
「だいじ」
手を取り合って、フフッとか笑って妙な気分だ。
恋愛ドラマならここで盛大に主題歌が流れて、ふたりはキスをするのだろう。けれど、疲れを滲ませている虎は自分の腕に頭をもたげ、うっそりと笑うばかりだ。重い瞼に抗って首を緩慢に捻る姿は猫のようで、離すまいと繋がる手指の爪が俺の皮膚に食い込むほど立てられている。
「知ってた?猫って飼い主といてリラックスしている時にも爪を立てるんだって」
「何オレ、艶夜に飼われちゃうの?」
それもいいな、なんて虎は笑って、頭を撫でようとした俺の手をニ゛ャとあんまり可愛くない濁声で払った。二度三度と猫じゃらしのような攻防を繰り返し、炬燵の下では行儀の悪い足がウリウリと指で膝を突いてくる。
「虎、そろそろ寝たら?」
「正月早々、ひとり寝させんのかよ?」
「だって、朝、早……っ、ちょ、足癖わるっ!」
ゲシッ、ゲシッゲシッと蹴られて、態勢を崩した拍子に長い脚に膝を割られて俺は焦った。すかさず股座を嬲ってくる無作法な足にたじろいで逃げを打っても、天板の上では虎の手に捕まって他愛なく腰が揺れる。炬燵の温度がひとりでに上がるはずはないけど、熱くて、遣る瀬なくて、グリグリと踏みつけられるペニスが大きく脈打つのを絶望的な思いで堪えようとした。
「……っ、ぁ……虎、よせっ……」
「なぁ、ヤんね?」
「怒るよ?」
「だって、お前、可愛いもん」
「ぁあっ?……も、ダメだって。やめ……、やめろ、バカ!」
疼きが甘い痺れに変わって、不埒な征服者の悪びれる風もない顔に奥歯を噛んだ。子供だ。時折、虎は悪戯の加減が判らない子供になって俺を困らせる。
与えられる刺激のスピードが増すにつれ、正月早々、何をやっているんだという呆れた思いと、いっそS|exに縺れ込んでしまえばいいという欲情と……、けれど、何より勝ったのは虎に早く寝て貰わないと仕事に障るだろうという、つまらない真面目人間の思考だった。
「悪ふざけは終わりだよ、虎」
手を振りほどいて転げるように炬燵を出ると、虎は傍へ回り込んでくる。叱られ慣れしてるから、俺が語調を僅かに冷たくしたのを瞬時に察したようだ。
「怒った?」
「怒るよって予告したよね?」
「じゃ、ハグしてよ」
「ぇ……」
「してくれたら、おとなしく寝る」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
軽い調子で二度繰り返される言葉なんていい加減なものだ。それに、さぁ、来いとばかり両手を広げられて、ではもないだろう?
きっと虎は、俺が然程、怒っていないことも押せば押し切れることも解っていて、わざと俺が照れて動けなくなるようなことを言っているんだ。どうしてそう思うのかと言うと、今、虎にとって困り顔でモジモジする俺を面白がる方が魅力的だからだ。きっと、S|exするには虎の方が体力が限界で、それでも俺とイチャイチャはしたいという……俺に求められているのは、せいぜい湯たんぽになれってことぐらいだと思うんだ。ほんと、甘えたヤツ。
「回れ右して」
「やっぱ、ダメか」
「後ろ向いて」
要求が却下されたと思っている虎が「残念」と、ちいさく哂う。
俺はその背中に耳を当てた。ピクッと背筋を伸ばした虎が振り返ろうとするのを、ギュと抱きしめて阻む。……温かい。虎は体温が高いんだ。
「今夜は一緒のベッドで寝よっか」
「マジ?」
「ここを片付けたら虎の部屋に行くから、先に上がってて」
「俺に甘い艶夜、最高」
さっきまで眠そうにしていたヤツが勢い反転した身体に俺を抱き込んで、その表情は爛々と『嬉しい』が顔からはみ出している。虎がこんなヤツだから俺は絆されるんだけど、あんまりあけすけで、どんな顔して受けとめれば良いのか時折、恥ずかしくなってしまうんだ。
「おやすみ、虎」
「おっ。早く来いよ」
もったいぶった短いキスのあと、思いのほかアッサリと虎は階段を上がって行った。
「……ハグしたのマズかったな」
足取りの軽さに俺はシマッタと頭を掻く。あの調子だと元気になって添い寝じゃ済まなくなるだろう。もっとも俺も良い感じに温まっていて、もしかすると、添い寝で済ませたくないのは俺の方かもしれないけれど……どうにも少し時間を置いた方が良さそうだ。
ゆっくり丼を洗って、観葉植物に水をやって、ズレてもいない鏡餅の位置を整えよう。寝酒に一杯、戸締りは二周。そうだ!虎の仕事が終わる頃、店に迎えに行こう。一緒に氏神さんを詣でて、いつもの鯛焼き屋は……正月は休みかな?
初詣のために集めたピカピカの五円玉をテーブルに並べ、5円、ご縁も9枚数えて始終ご縁、一生の計と言ってもいい『好き』を今年こそ虎に伝えたいと願う。そうするうちに静かな寝息を立てて、虎がベッドを温めていてくれるだろう。
「湯たんぽは虎の方だ」
初日の出は午前7時5分の予定。
ニュースは正月寒波になると注意喚起を促していた。
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