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「それは手品でしょ」とヒカリは怒ったように言った。「それともおじいさんがうちの猫を消したの?」 「いやいや。人のうちの猫を勝手に消したりはしないよ」 「じゃあ、誰が消したの? おじいさんと別の手品師?」 「さあね。でも、誰も消さなくても、猫は自分で勝手に消えたのかもしれない」 「家出したって言うの? 座布団とお皿と猫缶を持って?」  おじいさんは笑った。座布団とお皿と猫缶を風呂敷に背負って家出する猫を想像したのだろう。 「私をからかってるのね」ヒカリはふくれっ面になった。「私は真剣なのに」 「ごめん」とおじいさんは言った。「でもからかってはいないよ。何て言うか……自分からふっと消えてしまうことがあるんだよ」 「自分からふっと消える?」 「例えば……きみがここに来る途中の道に、空き家があるだろう? 路地にビーナス像がある家」 「ビーナス像? ああ、あれか」 「あの家に住んでた人は、ある日突然にふっと消えてしまった。一人残らず、きれいさっぱり。半年ほど前のことだ。それっきり誰も戻らずに、今ではあの有り様だ」 「それは……引っ越したんでしょう?」 「不幸にも自動車の事故があって、あの家に住んでいた人たち全員が巻き込まれてしまったんだ。僕から見ると、ある日ふっと消えてしまったように見えた。まるで最初からいなかったみたいに」  ヒカリはしばらくその意味を考えた。大人の言うことを理解するのは、いつも時間がかかる。
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