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たっくん
「ママー、これおもしろいよー」
庭で遊んでいた6歳の卓也が私を呼ぶ。
「なあにたっくん、どこにいるの?」
「車庫だようー」
見に行くと、コンクリを敷いたばかりで生乾きの上を、ぺたぺたと裸足で歩いている。
「あっ!たっくん、ダメ!そこは踏んじゃダメ!」
しかしコンクリの上にはすでに小さな足跡が、点々と散らばっている。
「あーあ、たっくんったら、もう」
「ママ、ごめんね……?」
心配そうに私の顔を覗き込む卓也。
「もういいよ。でも一人で入っちゃダメだよ、車庫には危ない物もいっぱいあるんだからね。さ、足拭いてあげるからお家入ろ。おやつにチョコドーナツ買ってあるんだよ。たっくん大好きでしょ」
「やったあ!チョコドーナツ食べるー」
「ほら、その前にアンヨふきふきだよ」
私は卓也の汚れた足を、濡らしたタオルでやさしく拭いてやった。卓也。私のかわいいかわいい宝物。ママはたっくんの為なら、何でもできるんだからね。
卓也が産まれた日は、この地方にはめずらしく雪が降っていた。20時間を超える陣痛の苦しみからやっと解放され卓也をこの手に抱いた瞬間、私の胸には初めて味わう、なんとも言えない優しく暖かい気持ちが広がっていった。と同時に、生まれた時から父親を持たないこの子が不憫で、私は思わず涙を流したのだった。
*
卓也の父親は、妻子ある男であった。不倫関係にあった真奈美は卓也を身ごもり、「妻とは別れる」という話をすっかり鵜呑みにしたあげく騙され捨てられたのだった。しかし34歳という年齢もあり、どうしても子どもが欲しかった真奈美は、一人でも産むことを決意した。
そんな背景ではあったが、真奈美は両親に頭を下げて実家に身を寄せ、生命保険外交員という仕事をしながら卓也をひとりで必死に育ててきた。両親は高齢であり、育児のサポートはほとんど見込めなかったという事情もある。
授業参観や運動会にはなんとか折り合いをつけて出席し、「片親がいない寂しさ」を感じさせないよう、あれこれと骨を折った。
物質面でも他の子に引けを取らぬよう、人の三倍はがんばって契約を取り、高給を確保した。
土日は正直一日中寝ていたかったが、疲れた体に鞭打って朝早く起き、卓也を動物園や遊園地に連れていった。それに卓也の笑顔を見る事が、真奈美の唯一の生きがいでもあった。
*
たっくんが笑ってくれたらママどれだけでもがんばれるよ。たっくんはママの宝物。世界にたった一つの、かわいいかわいい宝物……。
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