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重い瞼を開けると窓から差し込む力強い光が私を照らしていた。私は思わず顔をしかめた。遠くで授業の音が聞こえる。それと冷房の機械音と誰かのこそこそ話も。冷房で冷え切った教室の空気と窓から伝わる外気の熱量が相対している位置。そこに私はいるのだ。もう一度眠りに戻ろうとするが、薄い瞼を通しても尚、太陽は光というものを承認させてくるから居心地が悪い。今更授業を受けるなんて堪ったものではない。無理矢理目を閉じるが、居心地の悪さは変わらず、光が血液を通して赤みがかっただけだった。
交差した腕にうずくまったままで目元のみを黒板に向けた。私の前の席からは光が差し込んでおらず、カーテンの影に隠れていた。
カーテンくらい最後まで閉めてくれたっていいじゃない。愚痴がボロリと脳内で溢れる。
私の席は窓側のいちばん後ろ。この席は教室のみならず、世界の端に追いやられているような感覚になる。
ここに漂着したのは、つい3日前の事。
「あのなあ、後ろの列は教団から一番見やすいんだからなあ」後ろの席をせがむ女子達に担任が放った言葉。このクラスの担任は熱血教師の男だ。名前は加藤。苗字しか知らない。担当科は英語で自称お人好しである。クラスの問題に首を突っ込んでは表面上の解決ばかりを求めてくると前のクラスでは嫌われていたらしいが、うちのクラスの女子からは人気が厚い。
この日、私以外の女子にとって、席替えは好きな人と近づくチャンスだったり、嫌いな奴と距離を取れるチャンスだったり、居眠りができる席に移るチャンスだったりと様々な願いを叶えるためのモノであった。それを逃さまいと騒ぐ女子達でクラスが騒ついている中、どこのグループにも属さない。いや、正確には属していたが、破門された私は黙ってくじの番を待っていた。
このクラスで一番騒がしい‘‘私を破門したたグループ’’は窓側の一番後ろの席を誰が勝ち取るのか少々揉めていたようだった。(私はこのグループを些細な悪意を込めて、魔界と呼んでいる)この時の私は魔界の戯れごとを漠然と眺めていた。実際私の頭の中は昨日読んだ漫画のことばかりが占領していた。くじの順番が回ってくると私は「せきがえ!」と書き殴られた箱の中に手を突っ込み、初めに触れた紙をとった。こうして私は見事、魔界達にとっての当たりくじを引き当てたわけだ。その時のクラスの空気はまさに地獄であった。魔界のメンバーは私をギョロリと睨み、空気は一瞬でピリついた。聞こえるのは冷房の機械音のみ。クラスメイト全員が心の中で『やばい』と呟いたに違いない。加藤は苦しげに「お、おお、塩田は運を持ってるなあ」と力強く肩を叩いてきたが、この一連の出来事は今後も私の苦い記憶の一つとして残り続けるの事は明瞭であった。結局魔界のメンバーの過半数が教団前の席の札を取り、皆んなで席が近いのはラッキーだといと言うことで収まった。このように、この席には苦い記憶も込められているため不運を招く場所なのではないかと私は思っている。
苦い記憶を脳内で再生していると意識が明らかになってきた。この時間の教科は英語で、しかも加藤が授業をしているということに気づく。一週間後に学校で行われる模試の問題演習をしているようだ。どうもさっきのコソコソ話は魔界によるものだったらしい。今では会話には花が咲き、加藤は魔界と「これは仮定法だろう」「ふーざけないでやれ!」と笑顔で戯れあい中。教団からよく見えるのは後ろの席ではなかったのか。と言ってやりたい。
でもよく考えて私。仏頂面をぶら下げた私に誰が接したいと思うのか。しかも面白みのかけらもない。関わってしまったら魔界に目を付けられることは間違いない。デメリットだらけの厄介者。そんな私と関わろうとする人は、相当な物好きだ。物好き…。悲観的になっていたが物好きがいるじゃないか。飯田愛衣。このクラスで私と唯一関わってくれる存在。愛衣は私が破門された後も魔界に属している。(私は愛衣の紹介で魔界のメンバーとなったのだが。)
私と魔界に挟まれても愛衣は自分の立ち位置を確保して、クラスに馴染んでいる。愛衣は誰かの欲しい言葉を容易くあげることができるし、いつだって水のように姿を変えることができるのだ。それは同級生に限らなかった。どの教科の教師とも仲が良く、世渡り上手とは彼女を代表した言葉だと常日頃から感じる。
愛衣は、私の高校で初めてできた友達だった。(その時愛衣はすでに友達が多くいたかもしれない)初めて出会った時、彼女から醸し出される雰囲気に私は溺れたくなった。午後、お母さんが取り込んだお日様に照らされたばかりのお布団に飛び込みたくなるような気持ち。それでいて力強いものを感じさせてくるから、私はこの子と高校生活を共にし、この子と誰も知らない二人だけの特別な関係になりたいと心の底から思った。しかし、愛衣が私に本心を打ち明けてくれたと思ったことはない。愛衣は当たり触らない、十七歳の正しい友人との接し方で私と関わり、私もそれに答えるばかりであった。
こういう時に思い出す愛衣は、ぱっちり二重に私を捕まえる大きな目でこちら向き、少し横に膨らんだ鼻と柔らかそうな唇を動かして私の名前を呼ぶ。
愛衣は今、魔界にいて私にはそれほど興味がない。分かっているのけど、認めたくない事実。
時計を見ると授業は十分程残っていた。先ほどよりクラスはざわついている。
全く青春なんて、ドラマや漫画ほど綺麗じゃない。もっと毒々しくて激しくて、痛い。
「青春とは何か。」という議論こそ、今この仮定法よりも大切なことなのではないか。と教室の隅から堂々と提案したい。
教員と仲良くして、毎日相槌を打つためだけに団体行動をすれば青春になるのか。パーツの合わないパズルを無理に型にハメて笑いあうような関係では虚しいではないか。そもそも青春の定義を考え行動した時点で青春では無いのではないか。がむしゃらに走って、後から思い出すその青さが青春ではないのか。
破門される前までの私は面白くもないことで大袈裟に笑って、驚いてもないのに目を大きく見開いて、どうでもいい誰かの悪口を大きく頷きながら聞いていた。それが当たり前で正解だと思っていたし、そうすれば学校生活は豊かになると思っていたのだから。私は何から間違っていたのだろう。やり直せるなら入学当時から。いやもっと前から。
特別な何かを手に入れればいいよ。遠くで誰かが澄まし顔で言う声が聞こえる。
特別…。そんなもの無い。
高校生活が二年目となると切って短くしたスカートもスマートフォンを学校に持ってくる感覚も学校の自動販売機でジュースを買うことも特別だと思っていたほとんどは私の普通の日常の中に埋もれていってしまっている。
確かに特別な何かが私を満たしてくれれば交友関係で悩むことはなくなるかもしれない。ではどこで特別を見つけるのだ。教室を出て、学校を出て、みんなと違うところでなら得ることができるのか。つい最近まで見つけたと思っていた特別は母親に取り上げられてしまったばかりではないか。そう簡単に見つかるはずもない。特別が欲しいなんて思春期を迎えた全世界の男女が考えていることであって、それはもう普遍ではないか。
ダラダラと議論を続けるが、結局なにも解決はしない。愛衣のそばに居るほど私は立派ではないし、特別な何かを追い求めるのは自分に対しての自信がないからだというのは分かっている。
やがて授業の終了のチャイムは鳴った。
重い頭をあげる。体がだるい。頭を支えていた腕はピリピリと痺れていた。
クラスがざわめき出し、背後からはロッカーを開け閉めする鈍い金属音が聞こえる。やがてその金属音は激しくなりクラス中に響いた。
「ハルちゃん寝てたね」
愛衣だ。鼻の裏で響かせてる声は少し高くて癖があるからすぐに気づく。教科書を片付けたついでに声をかけたのだろう。
「ばれた?腕痺れちゃったよ」
「ばれるよ〜。夜まで勉強?」
「違うよ、映画見ちゃってさ」
違う。勉強していた。私の親は勉強面ではめっぽう厳しいのだ。なぜ私はくだらない嘘ばかりつくのだろう。
「そっかー。ハルちゃんの家は勉強に厳しいからしてるのかと思った」
「本当だよね。最近お母さんさ、お姉ちゃんの事もあるし、前以上にセンシティブで大変だよ。」
姉は引きこもりだ。姉が三年の年月、自分の世界を展開しているその部屋は私の隣の部屋に存在する。そこは異様な雰囲気を撒き散らし、家の大半の憂鬱と鬱憤を詰め込んで今にもはち切れそうである。母や父とは姉について話したりしない。元々三人家族であるように振る舞うのが当たり前。たまに洗濯物に姉の下着が入っているがくたびれて伸びきっているのをみて母は姉のものを買い替えてあげたりはしていないのだろうなと思う。昔の姉は天真爛漫でよく笑っていた。夕食の時間にはよく家族を笑わせていたし、きっと学校でもグループの中心にいたはずだ。物知りで、読み聞かせが上手で私は姉のことが大好きだった。
でも、誰しも一つは欠点がある。姉の場合は癇癪持ちであったこと。学校のプリントを一枚でも無くすと一晩中泣き叫んでいた。他にも予想外のハプニングが起こるとこの世の終わりのようにモノを壊し、泣き叫び、時には自傷まがいなことをした。普段と違う姉の姿に母は困り果て、父は殴ってそれをどうにかしようとした。ただし、その癇癪は家の中だけで、外では起きることはなかった。
姉の引きこもりが始まったのは姉が高校二年生で私は中学生の頃だった。姉は学校から帰宅すると「じゃゃああな!!!」と、この世を吹き飛ばす程の声量でリビングにいる私と母に叫んでから部屋へと消えた。片手には新聞紙を持っていた。母親は引きこもりは恥だと思っていたから誰にも相談しなかったし、私も愛衣を除いてはこのことを誰にも言っていない。
愛衣にこのことを打ち明けたのは愛衣が私のことを腫れ物扱いしないと確信していたから。愛衣は私の想像通り、姉の事実を自分で咀嚼して、それについての感想や感情を込めなかった。ただその事実を承認して「そうなんだ」とだけ言ったのだ。
「そっか。はるちゃんの家は今日も大変だね。それじゃあ、そんなお疲れハルちゃんには、特別なことを教えてあげます。」愛衣は目尻に皺を寄せて言う。何か企んでいる様子だ。
「何ですか〜?」私は笑いながら言う。
「あのねえ、よく聞いてくださいよ!ここからすぐ近くの中野川に女装をしたおじさんが現れるらしい」
「ええ、何それ。不審者?」
「違うよお。本題はここから!そのおじさんに会うと、なんと願いがなんでも一つ叶うらしいよ!」
小学生が盛り上がるような噂を楽しそうに報告してくる愛衣。
この子のこういう初々しいところ前は好きだったなあ。思わず顔の筋肉が緩んだ。閉め忘れたカーテンから差し込む光が、愛衣の瞼に乗っているアイシャドウに反射した。
愛の瞼はキラキラと宝石のように悠々と光った。私といた時にはなかった物。突然乱暴な気持ちが湧き出してきて、私は興味なさげに相槌を打った。私の変化に気付いたのか愛衣は取ってつけたような笑顔を私に向けた後に
「信じるか信じないかは、ハルちゃん次第だよ。ていうかここ眩しっ!」と言ってカーテンを素早く閉めた。
そして小走りに魔界へと戻っていった。愛衣が去った残り風からは甘い香水の匂いがした。魔界はわあっと声を上げて一層騒がしくなった。さっきの噂も授業中の私が憂鬱の海を展開している最中に魔界で話されたのだろう。胸にくっついたこの曇りがかったベールは一生取れなような気がした。
授業開始のチャイムがなった。
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