第二章 月影の、その夜に

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 昼間は暖かな陽射しに恵まれる日も増えてきたが、夜間になると冷気が肌を刺す。直鷹(なおたか)は、羽織った小袖の襟元を手繰り寄せ、格子の間から覗く夜の帷を見遣った。  暗闇の中、弓矢に似た形の月が夜空に転がっていた。  この季節には珍しくぼんやりとした光を闇に溶かすことなく、はっきりとした輪郭を鋭く夜空に描く月に、その名の如く武家のようだと独りごちる。 (っていうか、軍議をやろうって夜に弓張月(ゆみはりづき)って……出来過ぎでしょ)  どんな演出だ、と直鷹は鼻先に苦笑を滲ませる。そして睫毛を室内へと向ければ、そこには胴丸を着込んだ十数人の武者の姿があった。庭先には彼らが連れてきた寄子(よりこ)(在地土豪)が所狭しと犇めき合う。  彼らが動く度に荒々しい物音が空気を揺らした。そんな中、室内に女物の小袖を打ち掛ける直鷹の姿はひどく滑稽に見えるようで、武者姿の重臣たちからの視線はなかなかに厳しい。  もっとも、その視線に耐えられないような心の持ち主ならば、最初からこのような(なり)で国中歩き回ったりしていないので、大して気にも留めていないのだが。 「集まったか」  そうこうするうちに、ガラリ、と音をたてて引き戸が開かれる。  その後、ガチャという足音と共に胴丸に身を包んだ秀直(ひでなお)が室内へと入ると、ほぼ同時に、室内の頭が一斉に下ろされた。 「急の知らせによく集まってくれた」 「殿、何かあったのですか?」  上座近くに座する男が、太く低い声で訊ねる。同時に、垂れていたいくつもの頭が上がり主の返事を待った。 「本家が、動く」 「まさか……ご本家が?」 「殿へと弓引くつもりですか!?」 「馬鹿な……今更……」  次々へと上がる声に、秀直はちらりと視線を直鷹へと向ける。彼は驚いたように軽く目を見開き、父親を見つめ返した。  初陣は既に経験しているものの、水尾の一軍を率いる兄ならばともかくとして、その与力としての参戦しか経験のない直鷹は、歴戦の武将からすればまだまだケツの青いひよっこ同然である。  いままで父親からも、息子だからといって特に軍議での発言を許されたこともない。それが、いまの直鷹の水尾家における位置づけの全てである。  けれど。 (俺の手柄を、認めてもらえるってことなのかね)  妙な擽ったさを感じながらも直鷹が視線で問うと、秀直はそれを見て軽く顎を引く。 「(さかき)さまへの、謀叛」  直鷹は笑みを浮かべると、床にそっと言葉を落とした。声変わりが済んでもなおやや高めの声が室内に響き渡り、秀直へと向けられていた意識がばさら大名さながらの三男へと向けられる。 「根拠は、ご本家所轄の田植えが既に終わりつつあること。駒木与兵衛(こまきよへえ)への武具発注数がこの半年の間に急激に増えていること。だが、いまさらうちへ一戦構えるだけの気概も兵力もない」 「若君が、お調べになられたのですか……?」 「調べたなんて、そんな立派なもんじゃない。たまたま領地(りょうち)の連中から、ご本家所轄の動きがオカシイって知らせを受けただけだよ」  先日、恒昌(つねまさ)を連れて自ら確認しに行ったとは、あえていわなかった。いえば、この家老連中からあとで絞られることになるのは、乳兄弟の少年だ。 「まぁ、そういうことだ」  呆気に取られた、と形容するに相応しい空気を突如太い声が締め付ける。直鷹が室内へ瞳を泳がせると、一瞬で意識が上座へと引き戻された重臣の姿がそこにあった。主たる父親の立場を考えれば当たり前とも言えるのだが、直鷹は改めて父親の主としての器に軽く目を見張る。 (だから、一代――十数年でこの国を、鳴海国を半分切り取れた)  力と勢いに任せていた部分はあったにせよ、父親の下にもともと烏合の衆だった国人たちが集い、従っているのは彼自身の強い魅力があってこその話だ。それが名ばかりとなり、失われたのが現在の守護大名・榊鷹郷(さかきたかさと)であり、水尾家本家の当主なのだろう。 (でも)  まだ早い。  直鷹は昨日出会った栗色の髪を持つ男装の少女を思い出し、黒曜石を細めた。 (もし)  彼女が今ここにいたら、何を思うのだろう。  日頃より不仲せいか、それともそんなこと関係なくそもそも器量を見限っているのか。父親である榊鷹郷に対して、あまりいい感情を持っているようには見えなかった。  しかし冷静に現状を把握しそれを受け止めようとするだけの度胸を持っている分、父親より君主としての器は上なのではないだろうか。 (来月、どう動くかな……)  謎かけと共に置いてきた約束を思い出し、ふ、と格子ごしに部屋の外を見れば、先程と変わらぬ弓張月が暗闇に浮かぶ。  その月の形を唇に宿し、直鷹は再び視線を部屋の中へと戻した。未だ冷たい夜風がすぅと入り込み、少年の茶筅を結う色紐を軽く揺らす。  軽く息を吸い込み、直鷹が声を発しようとした、その瞬間――。 「では、私が状況を詳しく調べましょう」  突然、穏やかとも言えるような声音が、板間に響いた。主たる秀直へと移っていた視線が、部屋の片隅へと流れる。 「直重(なおしげ)さま……」  嫡男ですらない三男の直鷹よりもさらに遠い末席近くに座する青年の名を、筆頭家老がぼんやりと呟いた。室内は彼に対し「いたのか」と言いたげな空気に包まれるものの、当の本人は全く気を悪くする気配はなく、その(おもて)には微笑すら浮かんでいた。  直鷹に対しては、普段の行いのせいもあってか冷ややかな視線を投げかけてくる事が多い長兄だが、一族家中の者が揃うような席では物静かな人物だ。もっとも、恐らくそれが彼が庶子として一族で生き残るための手段だったのだろう。 「兄上」 「直鷹、お前の手柄を奪うつもりはない。ただ、ご本家が榊さまへと謀叛を企てているのが真実かどうか――それを調べるには、ご本家所領や花咲城(はなさきじょう)に所領が近い私の方がうまく立ち回れるとは思わないか?」  確かに、鳴海国北西部に位置する花咲城に程近い城を与えられているのは直重だ。もしなにかことがあった時にも、対応しやすいだろう。本家や榊への言い訳も立ちやすい。  しかし、常ならば決してこのような場面で目立とうとしなかった長兄が、声を発すること自体が不自然に思えた。 (何かに焦ってる……? 俺が、大きな仕込みをしてきたから、功を焦り出したか?)  ――否。  十も年下の弟に貼り合ってくるほど狭量ではなかったはずだ。  直鷹は口の中に一度大きく息を吸い込み、そして吐き出した。ふーっと真上に吐き出された息が額の前髪を揺らし、少年は擽ったそうに目を細める。けれど視線は長兄たる青年から外れることはない。 「兄上。そもそも、榊さまへの謀反が事実とした時に、当家はどう動くのか『殿』のお沙汰がまだありませんが?」  穏やかな微笑みを浮かべる直重に、やや意地の悪い笑みを貼り付けた(おもて)を向け、直鷹は言葉を返す。どこか長兄の勇み足を嘲笑っているかのような響きがありながら、その内容は正論ど真ん中であり、直重は、一瞬鼻白んだかのように言葉を詰まらせた。 「……だが、まだ謀叛がはっきりとわかったわけではないだろう?」 「そうですね」  直鷹は、黒曜石の瞳を長兄から上座へと滑らせる。睫毛が辿る先には、自身の主筋に当たる青年と少年の珍しい軍議での会話を珍しげな顔で迎える者、何故二人の間の空気が尖っているのかと訝しげに見る者。  そして――、二人の確執をある程度認識している父親たる主の姿があった。 「『殿』」  外連味たっぷりの声音で、直鷹は父親を呼ぶ。息子の性格を熟知している壮年の武将は、少年によく似た眉をピクリ、と動かし佇まいを直した。ガチャ、と具足の音が冷たい板間に響き、成り行きを見守っていた家中の視線が上座へと集中する。 「如何致しましょうか? 俺としてもどちらに転ぶにせよ、はっきりとした証拠があるわけじゃないので、今後も引き続き調べることは必要だと思っています」  直鷹は、まだ明かしてはいない手札を隠し持っている。けれど、そんな素振りを見せもせず、コツと板間に拳を置きやや前傾に頭を垂れた。色とりどりの結紐が少年の視界の端で揺れる。 「所領が近い兄上が調査された方が効率がいいとは俺も思いますので、『殿』からそうご沙汰があるのならば、従いたく存じます」 「ふぅむ……」  直鷹の発言は予想外だったのか、秀直はやや皺の刻まれた口元へ拳をやり唸るような声を上げると、末席で座する長男へと視線を移した。 「直重、どう思う?」 「父上の……殿の下知とあらば、喜んで」  短く問う父親の太い声音に、直重も佇まいを直し頭を垂れる。義母弟の発言に驚いたのは彼も同じらしく、困惑気味に声を震わせた。  秀直はしばらく二人の息子を見つめ、そして自分の側近くに座する初老の武将に目配せする。秀直の筆頭家老として名を馳せる老武将は、主からの視線に対して同じく視線で是と答えた。 「では、本家謀叛の動きについては、今のところ内密で話を進める。榊さまへの対応は、それからだ。本家調査は、直重に任せる。戦準備はいつでも出来るよう、各々心しておくように」  主君としての言葉が、冷たい部屋に響き渡る。  覚悟を決めたかのような幾つもの顔が一斉に下ろされる中、ただ一つだけ冷えた表情があった事に気付いた者は、いなかった。
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