第三章 真実を穿つ雨音

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 このところ日を置かず朝晩問わず降り続いていた雨は、日が落ちてからようやく上がり、久々に闇夜の中に月が顔を出す。  恵みの雨による恩恵か、草木は先日ここへ来たときよりも明らかに背丈が伸びており、濡れた草木が空へと伸びる木々の隙間から垣間見える月によって光を弾いた。  先日、この場所で切り伏せられた破落戸の遺体は既にない。  恐らくいいつけ通りに乳兄弟の少年がここへと足を運び弔ったのだろう。直鷹(なおたか)は与兵衛の屋敷から持ってきた榊の枝に紙垂(しで)を付けると、近くに転がる少し大きな岩に恭しくそれを捧げた。そして二拝し音をたてないようそっと二回柏手を打ち、さらにもう一拝する。  弦九郎(げんくろう)ひとりを助けた自分がそう思うのはひどく冷酷だとは思うが、やはり彼らに対しては自業自得という言葉以外向けられる感情は何もない。しかし、簡素ながらもこうして場を清め御霊(みたま)を慰めるための儀式をしようと思うのは、やはり自身が神道に連なるの家柄に生まれたからなのだろうか。 「(かけ)まくも(かしこ)伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 筑紫(つくし)日向(ひむか)(たちばな)小戸(おど)阿波岐原(あわぎはら)に 禊祓(みそぎはら)え給いし時に成り()せる祓戸(はらえど)大神等(おおかみたち) 諸々の禍事(まがごと) 罪 (けがれ)有らんをば 祓え給い 清め給えと(もう)すことを 聞食(きこしめ)せと(かしこ)(かしこ)(もう)す」  再度、二拝ののちに独特の抑揚から紡がれる祓詞(はらえことば)が、夜の森に余韻を残す。そして恭しく二拝二拍手一拝を繰り返すと同時に、 「祓詞――先日の破落戸どもへのものですか」  と、背後から声がかかった。  直鷹は神道特有の礼を途中でやめることなく下げていた(おもて)をゆったりと持ち上げると、緩慢な動きで振り返る。 「奴らにってよりも、この『場』に対してかな。ここは、花咲城にとっての鬼門の方角だからね。穢れは払えるなら払うに越したことはないし」  神罰だの仏罰だのを本気で信じているというわけでもないが、それでも後々「だからやっておけば」と思うようなことは出来れば避けたい。  視界の先には、年の頃がほぼ変わらないだろう少年の姿。彼が全てを知った上でいずれここへ訪れることを見越して足を運んだわけだが、まさかそう思った初日にやって来るとは思っていなかった。 「まさか今日会えるとは思ってなかったな。いつ気づいたの?」 「いいえ。気づいたのは今日ですよ。姫君が生きている可能性の方が高くなりましたので、もしそうならば貴方が死んでいるわけはない」 「兄上なら騙せる自信は十分あったんだけど、あんたは無理だと思ってたよ正味な話。存外うまく死ねたみたいね、俺」 「買いかぶり過ぎです。懸念ならばありましたが――確信を持てなかった時点で気づいていないも同然です」  直鷹はどこまでも謙遜する少年へ「じゃ、そういうことにしておこうか」と笑うと、先日焼け落ちたばかりの廃寺の脇を通り抜ける。黒い大きな影となった建物を背後にしばらく二つのガサガサという草を踏み分ける音が森の中に木霊した。  そして、視界が開けた崖の上まで来るとようやくその音を止める。  眼下に広がるのは、花咲城(はなさきじょう)。  月明りがあるとはいえ闇の世界でその全容は見えないものの、所々に篝火が焚かれており、その大きさは容易に知れた。堀や櫓を全て撤去した現当主よりも未だ戦乱の(とき)を迎えていなかった当時の榊家(さかきけ)の当主の方が先見の明があったようだ。   ――だからこそ、私たちは彼らを……民を、護ることをしなければならない。そう、思うのです。   ――私はなにも持っていない、じゃなくて。名こそ、身分こそが、私の仕事なんだと。  いつかの少女の声が、鼓膜の奥で蘇る。  耳にしてから、ずっとずっと自身の中で木霊する、その声。  大きい。  国と形がないくせにその大きさばかりが圧し掛かる得体の知れない代物に、息の仕方さえ忘れそうだ。 「でっかいなぁ」  城の規模のことなのか、それとも鳴海国(このくに)を建てた血脈の歴史か。  誰に聞かせるわけでもなく、心のままにぽつり呟く。  直鷹の数歩後ろで歩みを止めた少年は、常よりも細い瞳を彼の背中から眼下に広がる景色へと移した。 「いずれ、切り取るおつもりだったのでは?」 「さてね」  確かに、父・水尾秀直(みずおひでなお)はいずれ守護大名・榊鷹郷(さかきたかさと)を追放し、己が鳴海国の主にならんとしていた。一国の主たる器量もあり、さらに国を切り取るだけの実力も持ち合わせていた。  けれど、それだけでは国を治めるには足りないことを直鷹は知っている。  だから。 「そんなことより、あんたは良いの? 親父さん」  直鷹は肩越しに振り返り唇の端を持ち上げながら、額にかかる黒髪の奥から射るように後ろに立つ少年を見遣った。能面のような印象をそのままに、少年は薄い月を唇へと刷く。 「己の息子すら御することのできなかった、愚昧ということでございましょう」 「それだとうちの父上も愚昧ってことになるんだよなぁ」 「これは……口が過ぎました。どうかお許し下さい」 「ははっ、俺も人のことはいえないけどさ。きっとあんたも腹ン中真っ黒だよね」  少年は、直鷹の言葉に肯定も否定もしないまま、唇を弧の形に引き頬の位置を上げた。 「さて。それじゃ今度はこっちが火のないところに煙でも立たせようか」  返された笑みに、直鷹は視線を再び闇夜に灯る篝火へと向け、呟く。  闇の中、篝火がゆぅらりと国の行く末を案じるかのように揺れた気がした。
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