第一章 紅い華

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 陽の高さがちょうど、真上に来た頃。  直鷹は、愛馬を預けた駒木与兵衛の屋敷廊下を遠慮のない足取りで歩いていた。年季の入った黒光りする廊下に無遠慮な音が落とされるが、屋敷の者も彼が誰であるかを知っているため――そしてその奇抜な(なり)もいい加減見慣れているため、特に奇異な視線を投げかけてきたり、慌てた素振りを見せることはなかった。 「そういえば、さっきの話に関係あるかはわからないんですけど……」  数歩後ろを歩く恒昌から、常よりも落とされた声音で言葉をかけられた。直鷹は廊下へと落とされる歩みをそのままに「ん?」と短く答え、先を促す。 「花咲(はなさき)城下で、ここ最近火事が何件か続いているとかなんとかって噂になってるって」  花咲城とは、二年ほど前に元服した直鷹が父親と挨拶に出向いた場所であり、ここ鳴海国の守護大名・榊鷹郷(さかきたかさと)の居城である。  さすがに守護大名の城下とあって、この国で一番大きく華やかで栄えている城下ではあるが、それ故に影の黒さもひと際目立つ町である。とはいうものの、将軍家声がかりの守護大名のお膝元とあって表向きはそれなりに自治管理されていたはずだが、噂が広まるほどということは管理を任されている者がよほど無能なのだろうか。 「火事って、付け火かなんか?」 「いえ、まだそこまでは……」 「ふぅん」  今までの足音がなかったかのように、直鷹は突然立ち止まり、ふと庭へと瞳を滑らせる。造り自体は質素だが、季節の花々が目を楽しませ、背の低い木々の緑がその色彩を一層映えさせていた。駒木家は商売人としては決して大店(おおだな)の老舗というわけではないが、品のある手入れの行き届いた庭だ。 (花咲城、か)  不意に、二年ほど前見た赤い花に囲われた城の一角を思い出す。  直鷹自身の屋敷など、女手が下働きの下女以外おらず男所帯ということもありさほど美的観点からの手入れは行き届いていないのが現状だ。庭にはいざという時に食べられる植物ばかり植えているせいで、彩りも素っ気もあったものではない。  自分もまた少々変わり者だという自覚はあるが、それにしても同じ武家の建てたものだとはとても思えなかった。  直鷹の父親・水尾秀直は守護代の傍系という家柄ながら、生まれ持った武勇にて近隣を制圧し、勢力を拡大していった叩き上げの――悪く言えば、成り上がり者の武将だ。そんな父を幼い頃より見てきたせいか、危機感が全く感じられない()の城は、とても鳴海国の武家の頂点である守護大名のものだとは思えなかった。 (でも)  あの白い敷石は、明らかに侵入者対策のものだろう。  何故、あの場所だけああして敷石を置いているのか。  そして何よりもあの曼珠沙華に囲われた庵のような小さな屋敷。 (そういや……曼珠沙華って、火事の異名にもなってなかったっけ?)  曼珠沙華は白い花ならば仏花としても知られるが、赤い花はどちらかと言うと縁起が悪いものとして有名だ。剃刀を幾重にも散らしたような形状から、燃え盛る炎にも喩えられ、火事を起こす花として忌み嫌われていた。  直鷹は、庭へと向けていた睫毛を己の肩口へと落とした。曼珠沙華の花が刺繍されている白い小袖は、あの日見た強烈な印象から思わず誂えたもので、「ばさら大名」振るのにも勝手が良く、ここ二年ほどの彼のお気に入りの小袖となっていた。 「火事、ねぇ。今回の件に関係あるかはわからん……けど、少し気になるね」  直鷹は赤い花へと落としていた視線を持ち上げると、背後に控えていた乳兄弟の少年を肩越しに振り返る。そしてすぅっと目を軽く細め、「んじゃよろしく」と唇の端を持ち上げた。  恒昌は軽く頷くと、その場で片膝をつく。 「では、若。お気を付けて」  恒昌は頬へ遅れ髪がかかるのをそのままに一度礼を取ると、そのまま主たる少年へと背中を向けた。陽の差し込む廊下に響く彼の足音がやがて聞こえなくなり、直鷹は何事もなかったかのように、古びた廊下へと再び足音を落とし始める。 「与兵衛はどこにいる?」  廊下で偶然すれ違った年若い侍女に声をかける。何度も見た顔だ。直鷹を見知っている侍女は特に驚くことなく「こちらです」と一言添えると、視線だけで直鷹を促す。  少年は軽く返事を返すと、その背中を追いかけた。  歩が廊下へと落ちるたびに、ひらりひらりと裾模様の曼珠沙華がゆらゆら揺れる。  まるで焔が舞っているように見え――。 (曼珠沙華と、火事ね……)  誰に聞かせるでもない声は、胸中でぼそりと紡がれた。
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