第一章 紅い華

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 案内された土間は、戸口以外陽の光が入ってこず、湿気っぽくひんやりとしていた。  直鷹(なおたか)は目の前にある湯呑に手を伸ばし、そこに届いたばかりであろう積み荷を下男下女たちが所定の場所へと運んでいく様を、少し離れた板間に腰掛けながらぼんやりと眺める。  大小さまざまな荷があるが、その中身はすべてをこの屋敷の主自らが目利きし、仕入れたものだ。その質は間違いなく京の都に出しても恥ずかしくない品だろう。けれど荷解きされていない積み荷の山からは、本質など探れるわけもなく、目に見えるものはどこまでいってもただの荷物に過ぎない。  一般的に考えて、間違っても客人――しかも、主君筋に当たる少年を通していい場所ではなかったが、直鷹は特に気にせず慣れた調子で湯呑に入れられた茶をズズッと音をたて、嚥下した。 「若君」  声がかかった方へと視線を滑らせると、三十路をいくつか過ぎたかに見える小太りの男が小鉢を手に持ちながら直鷹の方へと歩いてくる。額に汗を滲ませ、頬が紅潮しているところを見ると、どうやら外で何かの作業をしていたらしい。 「与兵衛(よへえ)。急に悪かったな」 「いえいえ。あ、鮑の煮貝がありますが、お召し上がりになりますか?」 「お」  手に持った小鉢と箸を直鷹に渡しながら、与兵衛は彼の隣に腰掛けた。本来の身分差を考えれば、直鷹と与兵衛が同じ位置に座るなどありえない話だが、彼にはこの屋敷にいるときは身分を理由に自身に改まるなと告げてあった。  黒髪の少年は特に気にもとめず、差し出された小鉢に箸をつける。ふわりと香ばしい醤油の香りが鼻腔に届き、直鷹の唇は自然と三日月を描いた。  視界の端で、それを見たらしい与兵衛の目尻が柔らかく下がる。 「相変わらず、若君はそれがお好きですね」 「父上や兄上は生の方が貴重だし旨いって言うけど、俺はこっちの方が好きだね」  鮑は鳴海国(なるみのくに)ではなかなか獲れず、近隣の国で獲れたものを保存のため醤油に漬けて運ばれることが常だ。直鷹は三日月を描いたままの唇へ、赤茶色に染まった鮑を箸で持ち上げ運ぶ。 「うまっ。やっぱこれ、うまいなぁ。味のしみ方が、ほんと絶妙」 「有難う存じます。そのように調理し加工した者も、そのお言葉を耳にしたら喜びましょう」 「今度そいつに会いたいな」 「御召し抱えになるおつもりで?」 「まぁそいつの話聞いて、もし互いの利害が一致すればだけど……。一度与兵衛のところに卸したあとに、鳴海国のいくつかの城下の市で売れるように息のかかった商人(あきんど)を送り込めば、労せず色んな話が手に入るよね」 「なるほど。これならば鮮度をそこまで気にする必要はないですし、自分の思う機に情報を集めることは出来ますな」  顎へと太い指を当てながら、与兵衛はふぅむと頷いた。  人の好さそうな笑みを浮かべたまま主筋の自身へと賛同する言の葉を紡ぎながら、いま頭の中ではその話が実現したときの儲けを商人として冷静に弾き出しているはずだ。 「そうなると、下手に座(組合)を作らない方が流動的とはいえ人員も増えるし、市も活性化しそうだけど……与兵衛的には座役になった方がうまみでかいよね」 「まぁ……、そのお話は追々。…………して、本日はなにか御座いましたか?」  まるで明日の天気の話題をするかのような気軽さで、与兵衛は隣に座る主筋に当たる少年へと訊ねてきた。けれど声音は真隣にいる直鷹以外にはとても届かないほど、低く小さい。汗を拭う振りをしながら、口元を押さえ、それ以降の唇が読まれることを防ぐのも忘れていなかった。 (これだから、与兵衛は使える)  駒木(こまき)家はなにか特定のものを商いにしているわけではなく、扱う商品は武具から食料品、生活雑貨まで多岐にわたる。商売相手は農夫であったり、時には他の商家相手へ卸すこともある。しかし、直鷹が彼へと求める品は、いつも決まって「情報」だった。  国内だけでなく、鳴海国の港を窓口に大陸との貿易品も取り扱う駒木家は、人の出入りが多い。信憑性の有無はともかくとして、様々な噂話が集まってくる。 (情報は生ものだ)  それが直鷹の持論だった。  発生源より距離と時間が遠ざかれば遠ざかるほど、鮮度は失われる。誰かの意図的な思惑によって、もしくは無意図でありながら価値観や希望によって、いとも簡単に情報は形を変える。事実は歪み、真実は覆い隠されてしまう。  城に座する者の元へ伝言形式で上がってきたそれなど、小鉢の中の鮑のように誰かによって味付けされているものが大半だ。 「さっき恒昌(つねまさ)と遠駆けしてきたけど、……田植えしてた。何か知ってるか?」  黒曜石を小鉢の中に落としたまま、直鷹はまるで独り言のように呟く。与兵衛は、下男下女が動く姿に目をやりながら、是と答えた。 「ここ最近、うちが卸しているお(たな)でも、お道具の入りが増えているようで」  武家にとって「お道具」とは武具のことである。武具を新たに調達しているということは、近々きな臭い動きがある可能性が高かった。 「急な田植えを命じられたからか、今年の年貢は多少お目を瞑っていただけるようだと、先日ご本家直轄の若衆が油を買いに来た折に油座の者へ話しておりました」 「油座のやつって、本家筋の?」 「えぇ。特にお互い雑談といった風でしたね」  田植えを早めた以上、米の収穫がどういう結果を迎えるかはお天気頼りの農作物において例年以上に読めないだろう。つまり、今年の米の出来具合には期待は出来ない。基本的に年貢というのは領主にとって財産そのものであり、年貢米の石高に目を瞑ってまで田植えを終わらせ、人員を確保したい理由などそういくつもあるものではない。  それを本家筋の油座の者と惣村の若衆が話していたとなれば、勿論流言を視野に入れた雑談の可能性もあるだろうが、実際直鷹は自身の目で田植えがはやまっていることを確認している。 (ってことは、ソッチの話はほぼ確定だなぁ)  直鷹は与兵衛をちらりと見遣り、空になった小鉢を床に置く。コン、という陶器の音が、土間の喧騒へと吸い込まれた。 「あと、今回のことに関係あるかはまだわかりませんが……、お城下では月の陰る晩には人目がないこともあってか、火の始末も悪いようです」 「恒昌も言ってたなー、それ。いまあいつに調べさせているけど、後でもっと何かわかったら教えてくれ」 「はい」 「他には? 何か、面白い話題はない?」  与兵衛は、視線が投げかけられるのを受け、一度口元へと手をやり、思案するように視線を宙へと彷徨わせる。そして、なにかを思い出したのか「あぁ」と細い瞳を幾分大きく開いた。 「先程までの話とは多分無関係でしょうが……。身形を見る限り、どこぞのお武家の御子息かと思うんですが、落ちておりましたので拾ってまいりました」 「落ちてた……?」 「はい。実は、朝一で花咲城下の外れにある田島港(たじまみなと)まで行ってきたんですけどね。あ、そこでその鮑と火事の話題を仕入れたんですが……。で、帰路で身形のよい若者が、倒れておりまして。色小姓どののように綺麗な顔立ちでしたが――髪の色が、南蛮人のような……栗のように、こう、茶色というか山吹色というか、そんな色をしておりまして」 「それを、拾ってきたのか」  きょうび、人が道端で倒れていることなど珍しくもなんともない。与兵衛は人の良さそうな顔に似合わず、意外と腹黒だ。ただ人が倒れていただけで、わざわざ屋敷まで連れてきたりはしないだろう。  身形がいいそこそこの家柄の若衆と思しき者が、何故供も連れずに倒れているのか。何かある、そう思ったから連れ帰ってきたのだろう。 (与兵衛は関係ないって言ってるけど……)  今日、いきなり得た戦の準備に、新月の晩の火事。  そして、身形のよい武家の若衆。  ひとつひとつの言葉を拾えば、てんでバラバラの事象だ。  けれど。 (こんなポンポン出てきた情報に関係性がないわけが、なさそうだけどね)  直鷹は笑みを浮かべながら草履を脱ぎ、脇に置いた白い小袖と派手な結紐で装飾された刀を手に持ちそのまま上がり込む。そしてバサリ、と音をたてながら季節外れの花が刺繍された小袖をそのまま肩に掛けた。  与兵衛は相変わらず人の良さそうな笑みを浮かべながら、直鷹が板間へ置いた空の小鉢を手に持つ。 「中奧の客間でおやすみです」  板間に無遠慮に落ちる少年の足音に思わず苦笑しながら、与兵衛はそのまま戸口へと歩きだした。
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