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「学校に行きたくない」決められた守られたレールや場所に行きたくない。
「会社に行きたくない」それは社会に出たくないと似ている言葉だと思う。
苦痛やストレスに耐えて、報われるか救われるかも分からないのに。
嫌な思いをして、嫌みや嫌事、悪口や陰口を言われているような気がする所。
そこで叱責されてまで、努力をしたくない。
「甘えるな」と言わないで。
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僕らは、学校や会社に絶対に行かなくてはいけないのだろうか。
僕は学校をサボる事がよくあった。でもそれで問題が解決することはなかった。けれど、それで一時的に心が軽くなることはあったと思う。
何一つ問題は解決することは無かったけれど、後で得たものは無かったのだけれど、そこで出会えた人や物や思い出は今でも忘れる事はないし、出逢った想い出とは、未だに忘れる事は出来やしない。
逃げてしまえば失うことがある。逃げれば失うものがある。
そして逃げた翌日は、また逃げ出したくなる。
美味しいものを食べた次の日は、美味しいものを我慢をすることは出来るけど、嫌なことから逃げたら、また同じようにそこから逃げ出したくなる。
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失った信頼は二度とは元には戻らないかもしれない。
一度裏切ったり、一度傷ついた者は、その後も「あの時は(あの時も)」と、相手の不安や怒り、疑心暗鬼に繋がってくる。
そして、その二度目の逃避行や翌日の逃避行で得るものは無い。むしろ、同じ出来事に馴れてしまうからか、逃げる事への罪悪感が無くなってしまっているからかもしれない。
逃げ続けていると、逃げている事の「ありがたさ」、逃げる事の「大切さ」を忘れてしまうのかもしれない。
どうして逃げているのか、どうして逃げたのにまだ次の日があるのか、そこに「尊さ」があることに気づかないのかもしれない。
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逃げたっていい。
でも、どうせ、逃げるなら、一人がいい。
一緒に居たい人とは逃げられないのだから。
孤独を感じたくないから、旅先では出来るだけ人と出逢いたい。
それか、一緒にいて疲れない人となら、どこかへ出掛けたり、
逃げ出してもいいと思う。
そういう意味で、
「一緒にいても疲れない人」というのは大切なことだと思う。
人の目を気にして、疲れたり。
だから、この人と一緒に居たくない、一緒にいる所を見られたくないと想ってしまう僕らは、幸せになれるはずが無いのかもしれない。
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