血塗られたフランスの歴史

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勘違いなさらないでいただきたいのですが、ギロチンは「愛の掃除道具」です。1789年…… まさにフランス革命の起こった年ですね、国民議会議員である医師のギヨタンが、議会で刑の平等や死刑の迅速性、非残虐性などを訴えたことがギロチン導入のきっかけとなりました。それまでは死刑囚の身分や性別、犯罪の内容によって処刑法と拷問法が決められていましたが、ギヨタンは議会で、死そのものが死刑囚の本来の刑であると説いたのです。こうして、身分にも苦痛にも平等な処刑具ギロチンが開発され、ギヨタンの名が冠せられたのです。ギロチンによる処刑は20世紀になっても続けられました。かつてパリだけでも、1日平均30〜60人もの死刑囚が、すぐそこのコンコルド広場や、グレーヴ広場で公開処刑されていたのです」  そこまで話すと、ピエールは腕時計に目をやった。時刻は16時45分。脳裏に、アンナの美しくも険しい表情が浮かぶ。  そろそろ締めなければ、氷の女王のご機嫌を損ねてしまう。  ピエールはおもむろにスクリーンの下に置かれた段ボール箱から、おどろおどろしいマスクを取り出してかぶった。  ポケットから液体の入った小瓶を取り出し、中身をその辺に振り撒く。振り撒かれた液体は強い暖房の気流に乗って、気密性に優れたホール内にあっという間に充満した。
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