第2章「未だ来たらず明日を希う」

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 十二月三十一日。その日を境に、アトランティスからは夜が消えた。頭上に輝いていた太陽からは色が抜け落ち、町の外に繋がっているはずの鉄道は訪れなくなった。車で町から抜け出そうとしても道路は永遠と同じ景色のままで、他にも様々な超常現象が発生した。町の総督府はこれをパラダイムシフトと発表。住民たちは、相次ぐ失踪事件や超常現象に翻弄されることとなった。  理解不能な事件の数々は、町の保安官たちに解決できるようなものではない。かといって、具体的な解決策を思いつくこともなかった。果ては神話や伝説に結びつけ、世界の終わりと揶揄されるようになったのは間もないこと。そうして、誰も総督府や保安官を信用しなくなり、また彼らも事態の収束をほとんど諦めていた。  保安官事務所は静けさに包まれていた。パラダイムシフトが起きてから電気が供給されることはなくなり、町の中であやとりをする電線も意味をなくしている。事務所にある電話も微動だにせず、デスクの上のパソコンも使い物にならない。混乱した様子で駆け込んでくる住民の姿もなく、もはや保安官としての存在意義はないに等しかった。  そんな事務所で、ジルは椅子に座って何やら書物を読んでいた。四枚のファンが付いた照明は機能していないが、開いた窓からの光だけでも本を読むには差し障りない。彼は本を読んでいるというよりペラペラとページをめくっているだけで、デスクに足を乗せてくつろいだ様子だ。 「よぉジル。例の魔剣について何か分かったか?」  ジルの背後を通って隣の席についたのは、彼の同僚の一人エンツォだ。 「いいや、さっぱり分からん」  パタン、とジルは持っていた本を閉じると隣のデスクに放り投げる。 「そもそも俺が見つけたあの剣が、本当に『魔剣ライフダスト』かどうかも分からないんだ。証拠だってない」  証拠。この時はまさか、アトランティスで見つかったこと自体が証拠になるとは思いもしていなかった。  放られた本を手に取って適当に目を通し、エンツォはどこか楽しげに問いかける。 「それにしてもこんな町で魔剣なんてもんが見つかるなんて想像したか?」 「あぁ、そんな想像ができる自分が怖いよ」  彼らにとって、神話は身近な存在だった。信仰するしないの自由こそあれど、アトランティスでは神や悪魔の存在は度々話題に上がる。人の力では決して抗えないもので、彼らはそれを運命と呼ぶ。アトランティスを実質的に支配している総督府もそれを軸にしており、教会を根城にしているのもある種信仰心の現れだろう。 「連中の言う通り、この町の運命は俺たちの運命さ」  エンツォが言っているのは、総督府が掲げているスローガンのことだ。奇しくも、スローガンは現在置かれている彼らの状況を端的に示唆しているふうに思えた。 「何もないことが一番かもしれないけど、起きちまったもんはどうしようもねぇ。受け入れるしかないのさ。たとえ、ここが神話の延長線上の世界だったとしてもな」  いっそ状況を楽しもうとする姿勢を取るエンツォに、ジルは思わず鼻で笑った。彼の姿勢を馬鹿にしてのことではない。今の状況に立ち向かい適応することだけを考えるなら、彼の姿勢は非の打ち所がなかったからだ。  昔からエンツォはそういう男だった。基本的に流れに逆らわずに身を任せる生き方で、いつでも冷静に物事を俯瞰的に捉える。時に傲慢なこともあるが、それを貫ける彼をジルは羨ましくも思っていた。 「お前は独り身だから気楽でいいよな。この先どうなるんだか」  アトランティスで起きたパラダイムシフトに、収束の兆しはない。このまま行ってどうなるかは想像もつかないし、どうにかできる根拠もない。あらかじめ敷かれていたレールを外れ、脱線したまま走り続けているようなものだ。どこに向かうかなんて、誰にも分からない。それこそ、神様にだって予測することはできないだろう。 「ジル」  両手をあげて頭の後ろで組んでいたジルを呼ぶ声がする。振り向くと、事務所の奥からやってきたのはエンツォとは別の同僚だった。 「マシュー、どうかしたか?」 「お前を呼んでるヤツがいる。誰だと思う?」  彼がやってきた事務所の奥は、所長室に続いている。とはいえ、所長は既に失踪してしまっているため、所長が呼ぶわけがない。  見当もつかず首を振るジルに、眼鏡をかけたマシューは声を潜めて言った。 「この町の総督ドロシー・エキスプレスだ」
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