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始まりと終わりは同時にやってくる
***
「なんで望みがないなんて決めつけるのさ!」
昌太郎の元気の良い声がやかましい。樹は黙ってスマートフォンから耳を遠ざけた。
「今は他の男の方を向いてても、これからどうなるかなんてわかんないだろ。振り向かせてやろうってくらいの気合い見せなよ! 樹はさあ、顔はいいんだから。チャンスはいくらでもあるって」
「なんだその言い方。慰めてるのかけなしてるのか、どっちだよ」
結局、週末にうるさく電話がかかってきて、洗いざらい吐かされた。相手の名前と、相手が昌太郎に惚れているということは隠し通したが、その他はだめだった。樹は押しに弱かった。
「だから、だめなんだって。絶対無理」
「なんで? いくらなんでも自分のこと卑下しすぎじゃない?」
「そうじゃなくて。いや、それもあるけど、それ以前の問題」
「それ以前って、どういう意味?」
樹は、未知の感情を冷静に分析していた。今、昌太郎は学校にいない。最大のライバルはいない状態だ。それなのに、樹は彼女とこれ以上距離を縮めたいとは、あまり思わなかった。それは、自分の陰気な性格のせいもあるだろう。自分に自信がない。拒否されたくない。好かれようなどと図々しいことは考えもしない。せめて嫌われたくない。それは樹にとっては自然な感情だが、どれもぴんとこなかった。それ以上の障害があるような気がしていた。それはなぜか。
考えた末に出てきた結論は、なかなかとんでもないものだった。
「多分俺は、そいつのことが好きな彼女だから、好きなんだ」
「えっ」
これまで喋り通しだった昌太郎が急に黙り込んだ。電話が切れたかと思った。
「樹、それ、そんなこと、そんな、冷静に」
「何をそんなにショック受けてるんだ、お前が」
「だって、そんな、悲しいじゃん」
「なんでお前が悲しむんだって聞いてるんだけど」
「そりゃ悲しいよ! はあ……樹ってやっぱり変わってるよなあ」
「類は友を呼ぶって言葉、知ってるか? お前に言われたくないんだよ」
「うっ」
「まだ、花の面倒見てんのか?」
今度こそ昌太郎は黙り込んだ。
彼が園芸委員会の仕事を熱心にしていたのは、彼がまじめな学生だったから、というだけではないことを、樹は知っていた。そして、昌太郎が転校して以降も樹と連絡を取り続けているのは、ただ樹を懐かしがっているからという理由だけではない。
「あの花屋のお姉さん、お腹が大きくなってたよ」
「うぐっ」
「あれで働いてるんだから、大変だよなあ。人間一人抱えてるってことじゃん。さすがにそろそろ店には出て来なくなると思うけど……なあ、お前、いい加減諦めろ。会った初日からわかってたことだって言ってたんだから」
さすがに昌太郎が恋に落ちる瞬間は見ていないが、散々話を聞かされたので、どこの花屋のどの店員がその人なのかまで、樹はよく知っていた。そして、昌太郎が出会ったその日にすでに、恋人がいたことが判明している。好きになった人は花が好きだったから、園芸委員会。なんとまあ単純な話だろうか。彼が花壇を大切にしていた理由を環が知ったら、どう思うだろう。君が好きになったこの男は、そんなに美しい奴じゃないんだよ。馬鹿で単純な、普通の高校生なんだよ。
しかし、樹はどうしても言えなかった。昌太郎に恋をして、たった一人でも教室を掃き清めている彼女が、とても美しいもののように思えたからだ。樹が真実を告げたら最後、あの姿は見られなくなってしまうかもしれないと思うと、どうしても言えなかった。今を壊したくなかった。
「そんなことわかってるよ!」
また元気の良い悲鳴がした。樹はまたスマートフォンから遠ざかる。
「でも、どうしようもないじゃん! 好きってそういうことじゃん! 樹だって、今ならわかってくれるでしょ?」
「理解できないとは言わないでおいてやる。でも無駄だ」
「冷たい!」
友人の叫びにくすくすと笑いながら、樹は天井を見上げた。
どうしてこうもうまくいかないのか。うまくいかず、何の実りも望みもないこの感情が、どうしようもなくいとおしく思えるのは、何故なのか。
教室で箒を使う彼女を思い浮かべるたび、心が、軋むように痛い。
了
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