37人が本棚に入れています
本棚に追加
【電信OKだったよ。まじで助かった】
電話の向こうで、元同僚の並木が礼を言った
といっても、並木は局の人間とあれこれやりとりしているらしく、時折中断されるし、周囲の音も漏れ聞こえてくる
「忙しそうだからもう切るぞ」
数人は気を使って電話を切った
カメラマンは次の現場に向かったが、古巣からのヘルプで他部署から派遣されてきた数人は、このまま直帰でいいと聞いている
こういう展示会に来るのは何年ぶりだろうか
経済部に配属されたばかりの頃、緊急性の低いイベント関連の取材によく行かされていたことを思い出す
(あの頃はそれでも刺激があったよなあ)
妻が死んで、息子を育てるために現場を退いてからもう10年近くになる
いまではあの頃の情熱を思い出すことはなくなった
ただひとつを除いては
数人は、とあるメーカーのブースで足を止めた
人々の熱い視線の先には、ワイヤレスブラとボクサーパンツ姿の女性モデルが歩いている
華美な装飾のない、黒一色の下着だが、素材と形の絶妙なバランスで、かっこよさと色気を兼ね備えている
数人は人を探すため、その下着メーカーのブースを覗いたが、あまりの人の多さに早々に諦め、近くの休憩スペースに移動して、そこで相手にメッセージを送った
やがて歓声と拍手が起こり、ブースからぞろぞろと人が出てきた
(終わったか)
数人はスマホを握りしめた
『ご来場ありがとうございました。皆様お忘れもののないよう…』
案内の声が流れるのとほぼ同時に、数人のスマホが鳴動した
『今そっちに向かいます』
と書かれていた
ブースの方に目をやると、人波から一人の男性が抜け出てきて、数人の方に小走りでやってくるのが見えた
南出樹、数人の恋人だ
人混みにいたからか、頬が紅潮している
仕事中に会うのは初めてだ
数人は少しでもかっこよく見せたくて居ずまいを正した
「南出さーん!」
その時、後ろから樹に走り寄ってくる人影が見えた
男性二人と女性二人
樹の会社の若手だろうか
樹は立ち止まってなにやら話をしている
「南出さん、うちの新人紹介してもいいですか?」
一番年上とみられる青年が、他のメンバーを一人一人樹に紹介した
紹介された者が頭を下げ、樹も応じている
「で、もしよかったらこの後お昼どうですか?こいつらもデザインの仕事に興味あるみたいで」
「あ、ごめん。実は知り合いと待ち合わせしてて」
そう言って、数人に意味ありげな目配せをした
(おいおい…)
皆に見られない角度だからといって、その視線は反則だ
情熱的で誘うような…
(この色男め)
樹の熱を帯びた視線に射すくめられ、数人は一瞬たじろいだが、ここで負けてはならぬと、妙なライバル心が芽生え、さっと姿勢を正し、渾身の笑顔で若手社員たちに会釈をした
(まあ、オレがどんなに笑顔振り撒いても、女の子から関心すら向けられないけどな)
45年生きてきて、それには確固たる自信があった
しかし、その時は違った
最初のコメントを投稿しよう!