5月25日(月) 疑念

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5月25日(月) 疑念

「あ、」 匠が、IT部での用事を済ませ、普段は使わないトイレに入ると、樹が洗面台に両手をついたまま固まっていた その姿を見ただけで心臓が跳ね上がった こんな千載一遇のチャンス、きっと二度とない 匠は瞬時にそう判断し、樹に声をかけた 「あの…南出さん、ですよね?」 「はい?」 樹の顔は白と言うより蒼白だった 「ぐ、具合悪いんですか?」 「いえ…」 匠に声をかけられた樹は出しっぱなしだった水道を止めた 顔を洗ったのか、髪が濡れている 匠はハンカチを差し出した しかし、それが受け取られることはなかった 「えっ…と」 「先日展示会で」 「ああ、三浦くんの…」 「覚えていてくれたんですか?」 覚えていてくれたことが嬉しくて、つい声が弾む 「そんなおおげさな…あ、でもごめん、名前までは」 「匠太郎です!入社3年目です」 「匠くん、よろしくね」 差し出された手をとると、白くて華奢に見えた手は意外と大きく、力強かった 「具合は大丈夫なんですか?」 「体は平気だよ。ちょっと恋人と…」 樹は口を滑らせたとばかりに目をそらした 「こいびと…」 「ごめん。忘れて」 樹は、匠のすぐ横をすり抜けるようにしてトイレから出ていった 営業部に帰ると三浦が仕事を振ろうと待ち構えていた 「遅かったじゃん」 「トイレで南出さんに会って…」 「あ、そうなの?覚えててくれた」 「まあ…」 「どったの?」 「南出さんて、独身なんですか?」 「いや、子供がいたはず」 「それじゃあ」 不倫… の2文字が頭をよぎった 「あ、でも確かシングルファザーなはず…デザイン部の同期が言ってたわ。奥さん亡くしてるとかなんとか…」 確かに子供がいたとしても、あんな美形のシングルなら恋人くらいいるか 樹を射止めた女性とは一体どんな女性なんだろうか 匠はデスクの上に置かれた書類を目の前にしても、仕事のスイッチがなかなか入らなかった
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