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5月15日(金) 兆候
数人は基本的には楽天的だ
悩むことなどあまりない
樹と付き合うときも、峰希や英のことなどちっとも考えずに決めてしまって、逆に樹から心配された
そんな数人がいまは進退いかんともし難いほど悩んでいた
※※※※※※※※※※※※
先週、特集班の先輩記者に誘われ、久々に飲みに行った
顔見知りのディレクターや他班の記者やデスクなど、そこそこのお偉方が集まっているが、半分プライベートに近い気楽な会のはずだった
ほどよく酔いが回り、英の塾の帰宅時間に合わせて帰るタイミングを伺っていた時だった
『乃木篤也』
突然知り合いのディレクターが呟いた
ついさっきまで当たり障りのない会話をしていたのに、急に剣呑な空気に包まれた
『の、知り合いなんだって?北野サン』
『知り合いというか…週刊誌にいた時の同僚って程度ですが…』
『出所したのは知ってる?』
『いえ…』
乃木は18年前、殺人と死体遺棄の罪で捕まり、無期懲役になった
想いを寄せていた同僚女性のために犯した殺人事件と、当時は大きく取り沙汰された
『北野くん、連絡とれないかな?』
『いや、俺もあれ以来、本当に…』
『いやね、出所した殺人犯のその後って、結構イケそうじゃない?しかもセンセーショナルな事件だったし…』
『イケそう、と言われても…』
乃木の煮え切らない態度に、業を煮やした先輩が
『俺らだっていくらでも調べられるけどさ、知ってる人間からの打診の方が向こうも警戒しないだろうし…』
最初からそのための会だったのか
いまさら気づいた自分に嫌気がさした
数人は財布から1万円札を取り出すとテーブルに置き、
『子供の迎えがあるので失礼します!』
逃げるようにその場を後にした
乃木の居場所を数人は知っている
出所してしばらく経った頃、乃木から連絡があったのだ
それは理科子の死を悼む短い電話だった
その時にダメ元でいま何をしているか聞いたところ、乃木は『北野には』と教えてくれたのだ
『そんなにうまいのか』
『ああ、一度食べに来たらいい。息子さんも連れて』
『ありがとう』
電話があったときは乃木の言葉に甘えて英を連れていこうと思ったが、今夜の飲み会で、自分の行動如何によって乃木が危うい立場に立たされるとわかった
数人自身も知らんぷりをして、しばらくは近づかないのが一番なのだろうが、乃木の顔を久しぶりに見たかった
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