夏と亡霊と裏切り者

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 道に迷った私は、通りすがりのおばあさんに声をかけた。  頭にはひさしの広い婦人用帽子。厚めの長袖シャツに、アームウォーマー。ゆったりとしたズボンに長靴。全身のいたる所が泥や土で汚れている。農作業帰りらしいおばあさん。 「……なんだい?」  おばあさんは男の人の声かと聞き違えるような低くしわがれた声で答え、じろりと睨むようにこちらを見た。その視線に敵意を感じてしまい、私は萎縮してしまう。 「あ、あの、黒滝(くろたき)さんのお宅はどちらか、ご、ご存じでしょうか?」  緊張のあまり、妙な敬語で話してしまった。  黒滝はお母さんの旧姓。祖母の名字。  黒滝という名前が私の口から発せられた途端、おばあちゃんの目はカッと見開かれる。無遠慮に値踏みするように、何度も私の姿を確認する。なにか気に触ることを言ったのかは分からないが、今すぐにでも逃げ出したい。 「あんた、黒滝さんとこに何の用だい?」  しわがれているけれど、重くて威圧的な声。 「えっと、私、黒滝さん……おばあちゃんの孫で吉野紗衣っていいます……」  畏まりながら言って、軽く会釈をする。いつもならこんな礼儀正しくは出来ないのに、おばあさんの雰囲気に呑まれて、無意識での行動だ。 「今更、帰ってきても遅いよ」 「え?」 「よく顔が出せたもんだね。実の祖母を看取りもせずに、お通夜にも、お葬式にも、お墓に入れる時すら顔を出さずに今更。薄情もんが。あんたの母親は街の男に唆されて、村を、親を捨てたんだからね、親子揃って薄情もんさ」  殴るように言葉をぶつけられ、私はさらに萎縮してしまう。  確かに私たち家族は、祖母が危篤だというのを伯母さんから知らされた時も、亡くなった後も会いに来ることはなかった。だからといって、どうして初対面のおばあさんに、ここまで言われないといけないんだ。  そもそも、村を出ていったのも、祖母の死に際に会いに行かない選択をしたのもお母さんだ。私の意思ではない。子供の私にお母さんに背いてまで、祖母に会いに行くという行動の選択権はなかった。  たまたま顔を合わせたからと言って、あたしを攻めるのはお門違いだろう。  ふつふつと怒りが湧いてきたが、おばあさんへの怯えが勝ってしまい、口に出せない。 「それにね……」 「ご、ごめんなさい。急いでるんですっ」  言い終わるのが早いか、私はまだ言葉を続けようとしているおばあさんを顧みず、駆け出した。逃げ出した。  少し離れた所で立ち止まる。誰かに道を尋ねてもまた同じような反応をされるかもしれないと、私は伯母から貰った大雑把な地図を見つめた。人には頼れない。頼れるのはこの地図と、曖昧な自分の記憶だけ。  大人なひとり旅。なんて優雅な気分は、おばあさんの声で何処かに飛ばされてしまった。今の私はさっさと祖母の家に着きたい。  時折、すれ違う村の人が訝しげに、若干の敵意を混ぜながら私の姿をじっと見るのは、私がよそ者だからだろうか。それとも、祖母の葬儀にすら出なかったくせに、よくも今更顔をだせたものだ。と責められているのだろうか。どちらにしろ、歓迎はされていないみたいだ。  人目を避けるように、急ぎ足で祖母の家を探す。  何度か初めに降りたバス停まで戻っては、地図とにらめっこして、なんとか祖母の家についた。  預かっていた鍵を差し込み、玄関を開けようとした。けれど、そもそも鍵はかかっておらず、玄関の引き戸に手をかけるとガラガラと音を立てて開いた。  田舎は鍵をかけないと聞いた覚えはあるけど、本当なんだ。私の家は家族の誰かが在宅中ですら、鍵をかけるのに。 「お、お邪魔しまーす」  私の声は家の奥まで通り、誰に届くこと無く暗闇へと吸い込まれた。祖母が亡くなってから住むものの居なくなったこの家に、誰も居ないのは分かっているけれど、私は挨拶をした。キャリーバッグを持ち上げて祖母の家へと踏み入れる。  湿った木材の黴びた匂いと、誰も住んでいない家に積もった埃の匂いが混ざって、私は咽そうになった。埃を吸わないようにハンカチで口元を抑えながら、できるだけ小さく、細く息をするようにして家の中を見て回る。  足を踏み出すごとにギシっギギっと木の軋む音が響くが、すぐにその音も天井や床の木材に吸収されてしんと静まり返る。  広い廊下の奥には明かりが届か無いため、昼間だというのに暗い。目を凝らすと、暗い廊下の奥に、居ないはずの何者かが立っているような気がして少し怖くなる。  電気のスイッチを触るが、照明はうんともすんとも言わない。そういえば、伯母さんがもう電気は止まってるって言ってたな。  生活感のない、この家だけ外界の時間から取り残されてしまったみたいだ。すでに家具は伯母が処分したらしく、何もないので余計にそう感じる。がらんどうな家。田舎らしい広さの家。
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