夏と亡霊と裏切り者

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「暑っつい。紛うことなき夏だね。こりゃ」  乗客の私しかいないバスを下りると、合唱コンクールのように競い合うセミの大合唱が出迎えてくれた。いくつかの電車やバスを乗り継いで辿り着いたので、時刻はもう昼を過ぎていた。  整備されていなくて、そこかしこにひびが入ったアスファルトの道路を、ゴロゴロとキャリーバッグを引きながら歩く。修学旅行のために購入して、それ以降は使わずじまいで物置に眠っていた空と同じスカイブルーのキャリーバッグ。  ゴロゴロとタイヤを走らせながらキャリーバッグを引いて歩くと、中学校の楽しかった修学旅行を思い出して心が弾む。でも、あたしはもう中学生ではないし、これは修学旅行でもない。  私――吉野(よしの)紗衣(さえ)。十八歳。高校生――の初めてのひとり旅。ひとり旅。という響きから、自分が大人になった気がして、更に楽しくなってくる。  心無しか足取りも軽く感じる。歩調も早くなり、走り出しそう。 誰にはばかるでもなく真上にある太陽から降り注ぐ日差しで、皮膚がチリチリと焦げる音が聞こえてきそうだ。日焼け止めを持ってくればよかった。  それでも、私の住んでいる街のねっとりと絡みつくような湿気と、避けないと進めない人混みがないので幾分か涼しい。  ずっと向こう、地平線まで広がる萌黄色の田んぼ、遠くに連なる大きな深緑の山々。小さな頃に絵本や物語で読んだ夏の風景。  幼い頃、私が育った村。  故郷の懐かしさに浸ろうと、子供の頃の記憶を頭の中で検索したけれど、景色なんてほとんど覚えていなくて、暗い気持ちだけが溢れてきそうだったので、首をブンブンと振って追い払った。 「と、おばあちゃん家はどっちだっけ?」  ズボンのポケットから、出発時に手渡された伯母さん手書きの地図を取り出して、目的地である祖母の家までの経路を確認する。 「ううん?」  地図を見て、私は首を傾げて唸った。  良くいえば快活で豪快。悪くいえば大雑把な性格の伯母さんお手製の地図は『バス停』『実家』という文字と、いくつかの道を描いた線。という、最低限の情報しか書かれていなかった。  長年この地域で暮らしてきた伯母ならこの地図で分かるのだろうが、土地勘のない私には次の三叉路をどちらに曲がれば良いのかすら分からない。  大きなため息を一つ吐く。 「もう、伯母さんったら。まあ、何とかなるかな」  いつもなら文句の一つも(こぼ)れるが、一人旅に浮かれている今の私には気にならない。寧ろ、こんなアクシデントも、旅の醍醐味だ。と、余裕を見せられる。 「今日はどこ行くー?」 「ね、カミサマの家はー?」 「いやでも、カミサマもう居ないしさあ」  ふいに、前方から数人の子供たちが楽しそうにはしゃぐ声が聞こえた。地元の子供、小学生くらいだろうか。  神様? もう居ない? 話している内容に私が首を傾げている間に、子供たちはじゃれ合いながら私の横を駆け抜けて行く。  すれ違う瞬間、子供たちの中の一人と目が合った。大きなまん丸の目に、長い睫毛。子供らしく可愛らしい顔立ち。ハーフパンツに白のTシャツという服装もあり、男の子なのか女の子なのか判断がつかない。真っ白のTシャツの袖口から小麦色に日焼けをした肌と、日に晒されていない白い肌の境い目が覗いている、見るからに活発そうな子。  その子が目を細め、薄く笑って見えた。かと思うと、前に向き直り走っていって、すぐに背中しか見えなくなる。  姿が離れていくと、途端に私の興味も無くなる。何日もこの村に居座るつもりはないから、もう会うこともないだろう。 「無駄に元気な子供たち」  私は呆れつつ、また歩き出した。  役に立ちそうにない地図に頼るのは諦めて、幼い頃の微かな記憶を頼りに祖母の家への道を進む。  何にも思い出せないとは言ったが、実際景色を見ると案外記憶が浮かんでくる。  だだっ広いだけの何もない空き地で鬼ごっこをして遊んだ。ただ長いだけの神社から下りてくる坂を全力で駆けぬけて、車に轢かれそうになった。  幼い頃は何もなくとも、体を動かすだけで楽しかったのだろう。  十八歳になった私は今すぐにでも、冷房の効いた涼しい部屋で寝転がりたくなってるけど。  ぼんやりと出来事があったのは思い出せるのだが、誰と居たか、いつの話だったかといった細かなディテールは思い出せる気がしない。そもそも、本当の記憶なのか、似たようなシーンをテレビや映画なんかで見て、自分のものだとすり替えてしまっているのかも定かではない。  修学旅行の思い出は、今でも頭の中でも再生出来るのに。  修学旅行の思い出以下になってしまった、我が故郷。  見覚えのあるような、無いような景色をキョロキョロと眺めながら歩いてゆく。しかし、あやふやな記憶を頼りに歩いているため、どうしても祖母の家が見つからない。現在地すら分からない。 「あの、すみません……」
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