泡沫の

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 空に戻ると、集落は異様な雰囲気に包まれていた。  ルルドは取り急ぎ荷物を自宅に置くと、一先ずアルドを探す。  天幕を出ると、集落のすぐ下の雲海付近に人だかりが出来ているのが見えた。  人だかりは輪になり、中心では何やら口論をしているらしい。  雲海まで降りると、輪の中心にはアルドの姿。そして、アルドの胸倉を掴むヘラルドの姿があった。  人の壁をかき分け、頭上を飛び越えると、息子であるルルドすら見間違える程、すっかりみすぼらしく変わり果てたヘラルドが、アルドの胸倉を掴み怒声を張り上げている。 「余計な事を、なんだこれは! 獣ばかりの見世物小屋でも始める気か! 勝手な事をして、わしのメンツを潰すつもりか!」 「一族を見捨てて兄弟喧嘩を始めたやつが、偉そうにどの面下げて言ってんだ! メンツも伝統も一族も何もかも、全部潰してんのは自分だろうが!」  声を上げるヘラルドに、アルドも普段の冷静さがどこに消えたか、ヘラルドの袖を掴み声を上げる。  取り囲む人だかりは、二人を止める事が出来ず、ただただ少し距離を開け見守る事しか出来ない。  二人の剣幕に少し怯んだものの、ルルドはすぐ二人の間に割って入る。  しかし、頭に血の上った二人は、ルルドを突き放すと、更に激しく口論を始め、もみ合いも激しさを増す。  何度もルルドは二人を止めようと試みるが、その度に押し飛ばされ一向に進展しない。  何度目か、突き飛ばされたルルドが背中から人だかりにぶつかると、ルルドの隣をするりと何かが通り抜けた。 「お止しよ! ババが悪い、ババがアルド様に買って来ておくれと言ったんだ!」 「婆様! 今来ちゃ駄目だ!」  ルルドの脇をすり抜けた婆様は、懇願するように声を上げ、両手を伸ばし二人の間に割って入ろうとする。  しかし、暴れる二人の間には、ルルドですら読み切れないほどの、複雑な風が渦巻いていた。  風追いでも無い二人が、適当に風を掴み乗り取っ組み合いの喧嘩をしているせいで、場の流れは複雑化してしまっていたのだ。  駆け寄ってくる婆様に気付いたアルドが、ヘラルドを突き飛ばし婆様を止めようと手を伸ばす。  しかし、風の渦に巻き上げられた婆様は、アルドの手か届く寸前で、人だかりの奥へと流されてしまった。  婆様を止めようと腰を上げたルルドは、咄嗟に踏み出す方向を変えると、流される婆様をどうにか受け止める。  震え歯を食いしばる婆様を抱え、安堵のため息をついた時、一際大きなざわめきがルルドの耳に届いた。  顔を上げれば、ヘラルドがアルドの首を絞め、すぐ足元にある貯水雲海に押し込めようとしていた。 「親に逆らってただで済むと思うな!」 「い、一回も親だって思った事なんかっ……!」  血管が浮き出るほど力を込め、ヘラルドはアルドの首を締め上げると、そのまま踏み付け、雲海へと蹴り飛ばしてしまった。   婆様を降ろし助けに入ろうとしたルルドだったが、一足遅く、伸ばした手は虚しく雲をかいた。   すぐに追い掛けようとルルドが雲に腕を突っ込むも、取り囲んでいた人達がルルドとヘラルドを抑え込む。 「兄さん! 離せっ、嫌だ兄さん!!」  しかし、ルルドは激しく抵抗し抑え込む人の手から脱すると、なんの躊躇いも無く雲海に飛び込んだ。  貯水雲海と呼ばれる、集落の真下にある積乱雲は、外から見れば一見穏やかな巨大な雲の固まりに過ぎない。  しかし、ひとたび中に入ってしまえば、そこは風と雨と雷の世界。  夜よりも黒い雲の中を、いくつもの雷が生き物のように這い回り、辺りを照らし出す。  目も開けられない程の暴風雨に、耳をつんざく雷鳴。  上も下も分からず呼吸すら出来ない積乱雲の中で、ルルドは無我夢中で風を掴みアルドの姿を探す。  絶え間なく走る雷により、周囲を見渡すことが出来る。  激しく殴りつけてくる風と雨の間に、ルルドはアルドの姿を見付けた。  遠く、風にもて遊ばれるゴミのように、アルドの体は不規則に乱高下し、雲の間を暴れ回る。  出掛ける際、アルドの服にくくりつけて来た真っ白な羊毛小物が、雷に照らし出され、真っ黒な雲の間から転々と顔を覗かせる。 「あぁっ……! もう、邪魔! 大人しく言う事を聞け!」  吹き荒れる積乱雲の中で、風を読むことなど出来るはずが無い。  ルルドは手当たり次第、目の前にある風を捕まえてはすぐに手放し、次から次へと手繰り寄せるように、言う事を聞かない風を蹴りつけ、前へ前へと体を推し進めていく。  無理に風を捻り体を押し込み続けるルルドの手は、一掴み毎に悲鳴を上げていく。  普段は、目的の方角に吹き抜ける風に乗る程度。力付くに風をねじ曲げる様なことはしない。  足の裏にぶつかる風に靴底が摩滅したのか、ルルドの足の裏に刃物で切り裂かれるような、鮮明な痛みが襲う。  風の合間にどうにか呼吸をし、目の前に揺蕩うアルドの体に飛び付く。  アルドの体を抱き寄せ、顔を覗き込む。  少し見た限りでは外傷は見当たらないが、すでにアルドは意識は無い。  帽子に付けた避雷石のお陰か、ルルドの周りには雷の一筋も寄っては来ないが、定住のアルドは避雷石をつけていない。  ルルドは背中を這うひやりとした感覚を振り払うように頭を振ると、少しでも呼吸がし易いよう、アルドの口元に風よけの布を巻き、外を目指し風を蹴る。  蹴りつけた風が不自然に甲高い音を鳴らし響き渡る。  裂けた靴底から、アルドの体に音が振動となり響き、徐々に膝に力が入らなくなっていく。  もう少し、今動けなくなるわけには行かないと、ルルドは唇を噛み、体中の痛みを散らすように最後の力を振り絞る。  雷が足元に去り、黒い雲に包まれてすぐ、目も眩む光がルルドを襲う。  先程までの暴力的で鋭利な風は吹き止み、良く知った風が吹き抜ける。  ルルドはどうにか、積乱雲から脱することが出来た。  目まぐるしく変わる状況に頭がついていかないが、見知った風に、本能的に助かったのだと体の力が抜ける。  アルドを抱えたままその場に倒れ込んだルルドの視界に、駆け寄ってくる数人の人影がうつる。 「あぁっアルド様、ルルド様……!」  膝の痛みも忘れ、男衆と共に駆け寄って来た婆様は、二人に覆い被さるようにしがみつくなり、声を上げ泣いた。 「兄さんを」  泣き崩れる婆様を起こす力どころか、起き上がる力すら残っていないルルドは、婆様に力無く微笑みかけると、声も絶え絶えに男衆にアルドを託すと、ついに意識を失ってしまった。
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