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二人は婆様に挨拶をし、準備を整え、少しばかりの仮眠を取ってから出発した。
集落のある雲を抜けると、満点の星と巨大な月が顔を出し、灯りが無くとも飛ぶのに支障は無い。
アルドの乗る馬の手綱を曳くルルドは、時折吹き付ける強風に、アルドがバランスを崩し落馬しないよう、風を読み適度な速度で上昇していく。
「なぁ、今更だけど、集落の皆に相談した方が良かったかな? 相談、と言うか報告と言うか」
「羊の遊牧をやめて豚の定住にするって話? 本当に今更。別に皆から預かった金を使う訳じゃない。豚が上手く行かなくても、損するのは俺達と婆様だけだから良いんじゃないかな。と言うか、相変わらず先走ってから後悔する癖治らないな」
素っ気ないルルドの返事に、アルドは馬上で腕を組み口を曲げる。
まだ買い付け所か出発したばかり。戻ろうと思えば戻る事も出来る。
しかし、アルドがやっぱり出直そう等と言い出す人間では無いと理解しているルルドは、風を捕まえたままするすると雲海を登っていく。
嵐の後の晴れ渡った夜空は、日中より飛びやすい位だった。
ルルドは気持ちの良い夜風に首を反らせ空を仰ぐ。
二人の上空、丁度月の中に、魚の群れが泳いでいるのが見える。
ふと、ルルドは後ろから聞こえて来たギリリという緊張感のある音に振り返る。
すると、馬上でアルドが月に向かい弓を構えていた。
風を切る音と共に飛び出した矢は、音の尾を従え真っ直ぐに月に向かい飛んで行く。
自然とルルドと馬は足を止め、矢の行方を目で追う。
矢が月の中まで到達した瞬間、それまで群れていた魚達が一斉に四散し飛び去っていく。
月明かりを遮るよう、額に手を添え目を細めると、放った矢は何かを連れ落下してきていた。
ルルドは手綱を一端アルドに手渡すと、アルドを残し落ちてくる矢に向かい飛ぶ。
思ったよりも離れた位置に落ちる矢にどうにか追い付き回収すると、矢は見事小鮫に命中していた。
小鮫と矢を手にアルドの元に戻ると、アルドは首と肩を回しながら唸り声を上げていた。
「あー、小さい方に当たったか。もう一匹を狙ったつもりだったけど、やっぱり腕が落ちたか」
「いや、あの距離で当てただけで十分。俺、群れは見えたけど鮫までは見えなかったし、飛び出したは良いけど回収出来るかも不安だった」
未だ不満そうな様子のアルドに矢と小鮫を差し出しながら、ルルドは乾いた笑いをもらす。
遊牧を行っているルルドも良い方だが、何故か昔からアルドの方が目が良かった。
本人も周りも定住生活では必要の無い才能だと笑っているが、時折こうして気紛れに狩りをする事もある為、そう馬鹿に出来たものでも無い。
「確か海の鮫の皮は水を一切通さないんだったか。この鮫の皮はどうなんだろうな」
「そう言えば試した事無かったような……。なんでこんな時にそんな気になる事言い出すかなー。今すぐそれ持って貯水雲海まで降りて試してみたいな」
小鮫を袋に詰め込みながらぽつりと呟いたアルドだったが、呟いた本人もだが、隣で聞いていたルルドもはっと顔を上げた。
そしてほぼ同時に、アルドはとてつもない後悔が押し寄せ、ルルドは気になって風を読むどころでは無くなってしまう。
そのまま徐々に遠くの空が白んで来るのを横目に、二人は風に煽られながら市を目指し再び飛び始めた。
思ったよりも時間がかかったのか、市に着いてみれば、もう既に大勢の人で賑わっていた。
二人はまず馬を預け小鮫を売ってから、それからゆっくりと市を見て回る事にした。
ルルドは馬を降りたアルドの手を引き飛ぼうとするも、人前で成人した兄弟同士、手を繋ぐのがどうにも気恥ずかしい。
集落だったら日常的な事だが、さすがに市では躊躇ってしまう。
アルドの手を掴み腰布を掴み袖を掴み。どこが良いかとあれこれ真剣に思案するルルドの様子に、アルドは耐えきれず徐々に口元が緩んでいく。
結局は、アルドがルルドの肩を掴みついて行くという方法に落ち着いた。
市は大通りに露店が軒を連ね、少し入った小道に簡単な食事を出す店がいくつかある。
そして更にそこから奥へと進んだ離れた場所で、羊や馬などが取引される。
「どうする兄さん。先に豚を見に行くか、それとも種と雑貨を見に行くか」
「そうだな……。先を越されると厄介だから、先に豚だな。先に買って種を見ている間は預かって貰えば良い。良い個体が出てれば良いけど」
アルドの返答に、ルルドは一つ頷くと、大通りをそれ小道を奥へ奥へと進んでいく。
行き交う人達はそれぞれ、飛ぶ支えとなる物か動物を連れ、不安定に飛び回る。
その間を誰にもぶつからず真っ直ぐ飛ぶ二人は、異様に目立っていた。
「よう兄ちゃん! あんた風追いか? いやー、珍しいな。どうだ、ちょっと食ってかないか?」
「兄ちゃんどっから来たよ? この辺りで風追いが居る一族っつーと……」
「あらお兄さん、急いでどこに行くんだい。丁度飯が炊きあがった所なんだ、見てっておくれよ」
あちらこちらからよたよたと寄って来てはてんでに声をかけてくる人達に、ルルドは愛想笑いで返す。
しかし、行く先々で声をかけられるので、どうにも嫌気がさし、ついには風よけの布で顔の半分を覆ってしまった。
そこからは声をかけてくる人達はアルドが適当にあしらい、あしらうついでにちゃっかり試供品まで貰っていた。
「凄いな。ルルドと居ると金が要らない。貰った串焼き食うか? 揚げ饅頭のが良いか?」
「いやいや、俺今まで試供品なんて貰った事無いか――試供品で串焼きと揚げ饅頭?」
暢気なアルドの声に振り返る。
すると、アルドはルルドの返事も聞かず、風よけの布を捲るとルルドの口に半分に割った揚げ饅頭を押し込んだ。
まだ市が始まったばかりとあって、串焼きも揚げ饅頭も出来たてだ。
その揚げ饅頭のあまりの熱さに、思い切り風を蹴ってしまったルルドは、暴れ馬の様に飛び回りながら、たまたま見付けた飲み物屋に突進していく。
一部始終を見ていた売り子の娘は、顔を真っ赤にするルルドと笑い転げるアルドの二人に、すぐに飲み物を差し出してくれた。
「口の中の皮がベロベロに剥がれた。串焼きが良かった」
「そりゃあ、羊肉たっぷり揚げたて揚げ饅頭だからな。お前揚げ饅頭好きだったろう? あ、お姉さんこれ美味しいね。なんて飲み物?」
店先の布膳を敷いた床机台に突っ伏し、口を半開きにしたままじとりとアルドを見上げるルルドだったが、当のアルド本人は相変わらず笑っている。
そして冷ましながら揚げ饅頭を頬張り、飲み物を口に含んだかと思えば、ルルドにおかわりを持って来た売り子にニコニコと話し掛ける。
集落を跳び出して行ったダッドとヘラルド、全滅した羊に豚の買い付け、これからの生活について。
考えなくてはならない事は山ほどあり、その為に睡眠時間を削り市まで来たと言うのに、まったくアルドに緊張感は見られない。
それは、市に来たかっただけの口実かとさえ疑いたくなるほど、いつもと変わらぬ姿だった。
「これはチチャモラーダ。ここから遥か南の飲み物で、きびと果物とスパイスを煮込んだ物です。ほんのり甘くて飲み口も軽く、アルコールも入っていないので、子ども達にも人気なんですよ。お気に召しましたか?」
「へぇ! これがきび! この辺のきびと同じ物かい? 良いね。少し土産にしようかな」
アルドは余程気に入ったのか、目を爛々と輝かせ売り子にあれやこれと質問している。
ちびちびとチチャモラーダを飲みつつ、ルルドはそんなアルドの姿に呆れたように口元を緩めた。
先程アルドはルルドのお陰で試供品が貰えるような意味合いの事を言っていたが、ルルドはそれだけが原因では無いと知っている。
確かに、ルルドと飛ぶ事で目立つのもあるが、それ以上にアルドのその整った容姿も起因する。
遊牧に出ない為か、髪はルルドより暗い砂色の髪をしているが、瞳はつつきに来た鳥も息を飲む程に澄んだ榛色をしている。
そして、冬は厳しい寒さになるアルノー雲海周辺に住む一族特有の着飾った上衣。その上人懐っこく明るい性格。
声をかけて来た人達を適当に受け流すだけで無く、挨拶に一言付け加え気分を害する事無く笑顔で対応する。
現に、今もアルドと話す売り子の娘は、すっかりとアルドに魅せられたらしく、頬を染め色々な商品をアルドに紹介している。
そう、異様に見た目が整っている上に外面が良いのだ。
普段のヘラルドに対する横柄な口調を思うと、本当に同一人物なのかと疑いたくなる程だ。
そんなアルドの様子をぼんやりと眺めていると、ルルドの隣にどかりと男が腰掛け、ルルドの肩に腕を回してきた。
視線だけ上げ男を確認すると、目に入る情報より先に、風に乗り酒の匂いが鼻をつく。
「兄ちゃん、急いでどこに行くかと思ったら、甘いもんが欲しかったのか」
まだ市も始まったばかりだと言うのに、男は既に相当な量を飲んでいるらしく、胸元ははだけ帽子は腰布に引っかけていた。
愛想笑いで返すルルドの胸に、男は酒瓶を押し付け、自分はどこからともなく出したもう一つの酒瓶に口をつけ煽る。
「酒を飲んだら風が読めなくなる。あと、ちゃんと持ってないとあんたも帰れなくなるぞ?」
豪快に酒を煽り笑い声を上げる男から距離を置くと、ルルドは風に飛ばされそうになっていた男の杖に手を伸ばす。
うっかりしてたと小さく舌を出し頭をかく男に、ルルドはチチャモラーダを握らせる。
「この杖、確か東の方の……狩猟一族だったか」
「俺が狩猟一族に見えるかぁ? あっはっは! ヤク飼いの半農半牧だよ」
男は床机台の上で寝そべり、子どものように笑い転げ始める。
それにはアルドと話をしていた売り子が駆け寄って来る程で、ルルドはただ陽気なだけで害のある酔っ払いでは無いと取りなしてやった。
「おっさんの所はヤクか。どうなんだ、ヤクって。夏と冬に野営地に異動する位で、遊牧って程じゃ無いんだろ?」
いつの間にか土産のチチャモラーダを持ったアルドが、ルルドの肩を押し男との間に割って入った。
口調はなんら先程と変わってないが、ただ笑っているように見え目の奥が真剣なのが分かる。
世間話がてら、飼育する動物の情報を集めるつもりらしい。
「乳も毛も採れるし力仕事も出来る、糞は燃料になるし気質は穏やかで良いやつだ。ただなぁ、中々増えねぇし毛刈りと言うか、梳いて抜けた毛を集めるって方法だから面倒くせぇっちゃ面倒くせぇ。それに、ヤクも今年限りでお終いだ」
アルドに手を引かれ座り直した男は、酒を飲みながら話を続けていく。
「なんかよ、ここ何年か野営地でも餌が足りないんだよ。寒くてな。ヤクどころか俺達も凍えそうなんだわ。だから、定住を辞めて遊牧か狩猟にしようって話になったんだが、遊牧ってもなぁ、うちの一族に風追いが居ないし狩猟ってもなぁ……」
男の声は次第にぶつぶつと聞き取れなくなっていき、終いには床机台に倒れ込み盛大ないびきを上げ始めてしまった。
再び風に流されていきそうになる男の杖を掴むと、ルルドはしっかりと男の腰布に縛り付けてやる。
風に煽られる杖の先端についた小さな鐘は、規則的な音をたて揺れている。
「ごめんなお姉さん。このおっさんが目を覚ますまで、ちょっと店の奥にでも転がしといてやってくれよ」
アルドは男を担ぎ上げると、店の中へと先導する売り子の後をついて行った。
戻って来たアルドは代金を払い、挨拶を済ませると、ルルドの肩を掴み再び路地を飛ぶ。
相変わらず話し掛けてくる客寄せをあしらいつつ、ルルドはぴたりと口を開かなくなったアルドの顔を仰ぎ見る。
「東は凍える位寒くなって来たってさ」
「あぁ、うちとは真逆だな」
素っ気ない返事をし、再び黙り込んでしまったアルド。
そのまま二人は特に会話をすること無く、路地を抜け動物が集まる広場に抜けた。
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