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男は静かに答えた。
「いえ、遊学中ではありませんが」
「さようでございますか」
普通に相槌を打とうとして、やっぱり冷たい声が出た。
それならわたくしの噂を知らないはずがない。からかわれているとしか思えなかった。
「あなたのお名前を教えてくださいませんか」
「……アンジェリカと申します」
ありふれている名前でよかった。
家名は名乗らない。幽閉、軟禁は多くの場合、家名に傷をつけないための、いわば体のいい勘当をさす。名乗る気になれなかった。
ひとまず礼儀として聞き返す。
「あなたさまのお名前をうかがってもよろしいですか」
「……ルーカス。オーウェン・ルーカスと申します」
男は少し迷って、ちいさく口にした。思わず目を細める。
自分の名前なのに、まるで言い慣れていないもたついた口調。
お名前はと聞いたら、お名前はと聞き返すのが普通なのに、聞かれるとは思いもよらなかったというような、虚を突かれた表情。
普段相手が名乗ることがあっても自分は名乗らない、名前を聞かれないということは、よほど身分が高いか、よほど有名かのどちらかしかない。
……不器用なひと。おそらく偽名だった。
「親しいひとはみな、ルークと呼びます」
なるほど、愛称から考えたのね。さようでございますか、とまた気のない相槌を打ったわたくしに、少し苦笑して。
「ルークと呼んでくださいと、言ったつもりだったのですが」
——呼んではくださらないのですか。
拗ねたような甘い顔つきに、頬がひくりとこわばった。
この方は、ほんとうに、ほんっとうに世慣れていらっしゃるらしいわ……!!
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