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なんでもないような顔で大広間を抜ける。 庭園に出て、暗がりでも目立つ赤と芳香を頼りに進むと、生け垣に薔薇が咲き乱れている、薔薇園の入り口らしき場所を見つけた。 せめてもの意地で背筋を伸ばしていたのだけれど、ひとつめの角を曲がったところで耐えきれずに顔が歪んだ。 慌てて背の高い薔薇の陰に隠れる。赤い花のうつくしさがみじめな気分をかき立てた。 ……どうして、わたくしは不幸ばかりを呼び込んでしまうんでしょう。どうして。 泣き声を上げないように唇を引き結んで浅い呼吸を繰り返していると、近くでがさりと音が鳴った。 肩が跳ねる。 だれ、いえ、なにかしら。動物かひとか、お願い、風のしわざであって。 祈るように息をひそめてじっと待つ。できることなら、気づかれていないといいけれど。 「そちらに、どなたかいらっしゃるのですか」 うかがうような間を置いて、若い男の声がした。 薔薇ごしにもわかる、よく通る静かな声だった。理性的で賢明さがにじんだ、それでいて賢しらではない低い声。 短い悲鳴がもれそうになるのを、すんでのところで押しとどめる。 やはりひとだったのね。泣きぬれた吐息は聞こえてしまったかしら。 どうするか迷って、気づかれているなら隠れていても仕方がないでしょうと返事をする。 「はい」 久方ぶりに出した声は、ひどくかすれていた。 出てきてくださいませんか、と乞われて三度目に、おそるおそる木陰を少し出る。 顔を上げるようにも言われ、きっとひどい顔をしているに違いないけれど、薄暗い月明かりではほとんど見えないことを半ば諦め半ば祈って顔を上げて、思わず息を呑んだ。 夢のようにうつくしい男だった。
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