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話せば呪われる。名前を呼べば呪われる。 口さがない噂話は際限を知らず、わたくしはいつも無口で無表情のまま、うつむいていなければいけなかった。ヴェールを取ることは許されなかった。 この身分が高そうな方に、淑女たるもの、ほんとうは名乗ったり礼をしたりしなくてはいけないはず。 でも、いまはせっかく薄暗いのだもの。 髪色がわからなければあの呪われ令嬢だとわかられないかもしれない。聞かれるまでは、極力話したくなかった。 「泣いていらしたのですか」 「……いいえ」 短く返す。 たしかに泣きぬれた湿った呼吸をしていたけれど、この方が高貴な身分だと思ったのはわたくしの目が節穴すぎたかもしれないわ、と半ば遠い目になった。 大抵の紳士は、初対面の淑女に泣いていたのかなんて聞かない。なんてひと。 「それは、失礼をいたしました」 「いいえ」 他に答えようがなくて黙り込むと、しんと沈黙が落ちた。気まずい。 仕方なく口を開く。 「……あなたさまは、こちらで、なにをなさっていたのですか」 声がかすれないように慎重に吐き出した、途切れ途切れの問いかけに、目の前のうつくしい男は瞬きをした。 きょとんとした顔さえ、どこかうつくしかった。 「おそらくあなたと同じですよ。抜け出して来たのです」 「まあ。どうしてです?」 この方なら引く手数多でしょうに。むしろそれがご面倒だったのかしら。 驚いて聞き返すと、「あなたが教えてくださったら私もお話しましょう」と返された。ひどく世慣れた台詞に、ひとつ、慎重に後ずさりする。 「……たいへん申し訳ございません、わたくしはあなたさまがどなたか存じませんけれど、旅のお方でしょうか」
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