穿て壊て破れ

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伊波は四角く切り取られた術野の前に立っていた。 患部は患者の左耳の後ろのあたり。短くかりそろえられた患者の髪の毛が見える、伊波はマジックで引いたような黒い切開のラインの端に、力を入れてズブリとメスを刺す。 傷の深さは一定でないと、あとでまた切り直さなければならず、傷がガタガタになってしまうからだ。ボイパーラーというピンセットのような道具で、出血点を焼きながら、一息に奥まで皮膚を切り裂く。 傷口をへらのような道具でぐぐっとと剥がし、クリップで固定すると、側頭筋膜が現れる。筋肉は骨に強固に張り付いているので、モノポーラという電気メスで剥がしていくと、焦げ臭い匂いがする。 ようやく、頭蓋骨が現れる。電動のドリルで骨を切り、卵の薄膜のような硬膜を切り開けば、手術の準備は完了だ。 「開頭終わりました」 すぐ近で手元を見ていた、脳神経外科外科部長の青島が、2センチ程の頭蓋骨に開いた穴に顔を寄せる。手術ガウンがすれ、しゅるりと音がする。 「開頭が2ミリ大きい。あとここを内側に向かって広がるように削る」 「はい」 青島が重く響く声で言った。伊波は鋭匙を受け取りながら、もう一つのベッドの方をちらりと見た。 今日は2台のベッドが手術室に並んでいる。三叉神経痛と顔面けいれんの患者の同時手術だった。いつもより大きな手術室を使っていたが、それでも狭く、圧迫感を感じた。 研修医の西藤も伊波と同じように、開頭をしている最中だった。上級医の五日市が、最近はやっているグラビアアイドルの年齢はぜったいに嘘やで、と話す声が聞こえる。 今日の手術は、青島と五日市、研修医の西藤、そして伊波直人というメンバーだった。青島が執刀医で、五日市が第二助手。頭蓋骨を開けて閉じる、開頭閉頭の作業は、伊波と西藤の役目だ。 あとはいつものメンバーで、機材を渡す器械出しの看護師、外回りの看護師、麻酔医、検査技師だ。彼らも忙しく手術台の周りで動いている。 機械だし看護婦が道具を滅菌されたビニールから出すカシャカシャという音。そしてモニターのピッピッと言う音がずっと鳴っている、 「伊波、見ろ」 術野の上に、ビニールでぐるぐる巻きにされたクレーン車のような電子顕微鏡が設置されている。 青島が電子顕微鏡をのぞき込みながら、伊波に声をかけた。モニターに写っているのは、脳表から13センチ程の深さを、10~20倍に拡大した世界だ。
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