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でも、こんな生活が長く続く訳は無かった。
ある日、陽一が仕事を中抜けした事があった。
なんでも、翔君が高熱を出したらしい。
慌てて飛び出した陽一が夕方頃、社に戻って来ると何故かジャケットを着ていない。
「陽一、翔君は大丈夫だった?」
丁度外回りから戻ると、陽一も翔君の看病から戻ったようだった。
「幸……。うん、まぁ……大丈夫だ」
そう答えた陽一の、何だか歯切れの悪い言い方が気にはなったけど、それよりジャケットを着ていない事が気になり
「陽一、ジャケットは?」
と聞くと
「あぁ……、忘れて来た」
これまた歯切れの悪い言い方をしている。
「取り敢えず、予備のジャケットを着てくる」
陽一はそう言い残し、ロッカーへと足早に向かってしまう。
そしてこの日から、陽一は元の生活に戻りお酒に溺れる事は無くなった。
そして何より驚いたのは、社長から命じられてお見合いした縁談話を破談にしたいと言い出したらしい。
あんなに社長に絶対服従の陽一が、初めて社長の命令に背いたのだ。
そしていつしか、陽一の瞳は何処か遠くを見ているようになった。
以前より仕事に打ち込み、誰にも行かせなかった翔君の送迎を安井さんに任せたまま。
食事を取るのも忘れ、何かを吹っ切るように仕事している陽一が痛々しかった。
俺さえも拒絶する陽一の背中は、隣に居ても遠くに感じる。
何より辛かったのは、食事もあまり取れないらしく、どんどん痩せて行く陽一を黙って見て居るのが辛かった。
俺は必死に陽一に何か食べさせようと、小さなお弁当箱にお弁当を作って陽一に手渡した。
陽一は誰かが作ったモノを、邪険には出来ないのを知っていたから。
昼休みになる度、天気の良い日は陽一を連れ出して公園で食事をするようにした。
毎朝、陽一の為にコーヒーをドリップして水筒に入れ、お昼休みに陽一にお弁当と一緒にコーヒーを出すと
「幸の入れたコーヒーは美味いな……」
って、陽一がふわりと微笑む。
それだけで泣きそうになって俯くと、陽一は俺の頭にポンっと手を乗せると
「心配掛けてごめんな……」
そう呟いた。
そんな日が続いたある日、俺は陽一の想い人と出会う事になる。
「幸、もう弁当を作らなくて良い」
突然、陽一に言われて顔を見ると
「こんなにしてもらっても、俺はお前に何もしてやれない」
申し訳無さそうに呟く陽一に
「何言ってるんだよ!陽一が元気になるなら、何も要らない」
と答えた俺に、陽一は悲しそうに笑って
「そうか……俺は元気に見えないのか……」
そう呟くと、ゆっくりと立ち上がって俺を抱き締めて
「いつも心配掛けてごめんな」
と呟いた。
涙が溢れそうになるのを堪えて首を横に振ると
「幸……、ありがとう。……本当にごめんな」
そう呟かれた言葉が
好きになれなくてごめん
と言われているようで辛かった。
俺は痩せた陽一の背中に腕を回して、強く抱き締めた。
このまま時が、止まれば良いと願いながら……。
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