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何故、こいつが?
と思ったが、差し出された手が嬉しかった。
俺がその手を握り締めると、そいつは笑顔を浮かべた。
引っ張られて衿口が伸びたTシャツを見て
「家まで送るよ」
そう言われて首を横に振る俺にそいつは、手を握ったまま歩き出した。
何処に連れて行くんだろう?と思って着いて行くと、『田中』と書かれた表札のある家に連れて行かれた。
「ただいま~」
そいつは玄関を開けて言うと
「篠崎、上がれよ」
って言って俺を中に招き入れた。
「あら、お友達?」
そいつの母親なのか、自分の母親とは対称的な薄化粧の綺麗な女性が現れた。
「母さん。篠崎、シャツ引っ張られて伸びてるんだ。何か無い?」
って言い出した。
「え!大丈夫だから!」
そう叫んだ俺に
「じゃあ、先に二人でお風呂に入って来なさい」
ってその女性が優しい微笑みを浮かべて俺達を浴室に押し込んだ。
泥だらけの田中と、お風呂に長らく入って無かった俺は二人ではしゃぎながらお風呂に入った。
風呂から上がると、俺の為に洋服が用意されていて、田中の父親の帰宅を待って、夕ご飯もご馳走になり、初めて友達の家に泊まらせてもらった。
俺はこの日、初めて安心して眠れる幸せを味わった。
この日から、俺は陽一の家に入り浸るようになった。
もちろん、陽一のご両親が俺の母親に話を付けて、俺は田中家に居候させてもらうような形になっていた。
だから俺は、陽一の母親のお手伝いもしたし、勉強が苦手な陽一の宿題もみていた。
「女の子みたいな可愛い顔をしているから、幸君が女の子なら、陽一のお嫁さんになってもらったのに」
と、陽一の母親から言われていた。
後から思えば、陽一の父親が教師だったので、俺の生活環境を噂で聞いて引き取る為に、あの日、陽一に俺を田中家に連れて来させたんだろうと思う。
陽一の母親は美人で優しくて、俺と陽一を分け隔て無く可愛がってくれていた。
俺が田中家にお世話になって3年が過ぎた頃、俺と陽一に弟が出来た。
それは、陽一の父親の大学時代の後輩だった人の赤ちゃんだった。
その子の母親は出産して直ぐに亡くなってしまったらしく、乳飲み子の間、田中家で預かる事になったらしい。
陽一と二人で、田中家に来た赤ちゃんの面倒を見た。
赤ちゃんの名前は「翔」君。
切れ長のイケメン顔で、赤ちゃんなのにやたら肝が座ってる赤ちゃんだった。
あまり泣かないし、動じない。
みんなで「あれは大物になる」って、噂をしていたっけ……。
特に陽一は弟が欲しかったらしく、翔君が来てから粉ミルクでミルクを作ったり、オムツを替えたりしていた。
俺の人生の中で、一番幸せな時だった。
穏やかなお父さんと優しいお母さん。
そして明るくて頼もしい親友の陽一と、俺と同じ居候の小さな「翔」君。
笑顔が絶えない毎日で、俺はこの幸せが永遠に続くと信じていたんだ。
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