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第3話 夜の獣
夜が近付いて来ていた。
火を手にして、ヒトが夜を制したのは遥かに昔のことだけれど、あたし個人について言えば、果たして本当に夜を制することができているかどうか。いつのまにか忍び寄ってくる獣のように夜の息遣いが聞こえる。
幼い頃、壁際や天井の影、あちこちの闇に怯えて眠れずにいるあたしを守ってくれたのはムッターとアリアだった。寝床に入ってからは、ずっとアリアがそばにいてくれた。
そのアリアを置いて出てきたのだ。
あたしを夜の獣から守ってくれるものは、もはやどこにもいない。火を焚かなければ、そう思いながら、笑わずにはいられないんだ。残されたものはポケットの中の火種のみ。この原理さえわからない小さな機械がなければ、あたしは忽ち夜の獣の餌食なんだ。これを文明というならば、言うならばだ、いうならば、これほど虚しいものが他にあるだろうか。
気怠い体を引き上げて、燃やせる物を探して回った。あちこちに転がっていた木製のイスを叩き壊し、大きな窓に垂れ下がっていた布切れを集めて積み上げた。ついでに具合の良さそうな寝床も作っておく。
自分の仕事に満足して、ゆっくりと火を熾した。ぼうっと燃え上がった不細工な炎が嫌な匂いを放ちながら夜の獣を押し返した。
パチパチパチパチ、ぱちぱちぱちぱち。
頼りない鳴き声を上げる炎の向こう、崩れかけたバルコニーから境い目のない夜が見える。地上は暗く、天上は明るい。
夜と火の間に、黒いピアノが揺れていた。
映像で見たことがあっても実際にピアノに触れるのは初めてだった。スペースの限られるコロニーに余分なものはない。これがあれば音楽を奏でられるのだろうか。
どきどきしながらピアノの鍵盤を押してみたが、その度に激しい音が響いて、想像していたような音は聞こえなかった。どうやら一押しごとに弦が切れているみたいだ。
気付くとすべての弦が切れ、ピアノは沈黙していた。代わりにぽつぽつと雨が当たり始め、空から星も消えていた。ずっと高く、崩れた屋根を抜けて雲から水が落ちる。
雨は焚き火を避けるように降っていたが、どちらかと言えば夜の獣の味方なのだろう。建物の中、揺れる炎の向こうで煌めいて落ちる様は美しくも陰鬱だ。
立ち止まる者に災いあれ。
うずくまるあたしの耳に、シュバルツが足を鳴らす音が聞こえた。幽かなものだけれど、それが聞こえるほどに静かだったんだ。
空腹を思い出し、ともに携行食を口にした。シュバルツは頻りに身を震わせていて、どこか不安そうだ。
コロニーを離れて不安なのか。そう問いかけながら、不安なのは自分なのだとわかっていた。シュバルツ、恐ろしくも臆病な夜の獣とは、おまえのことじゃないのか。
……そうだったら良いと心から思う。
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