第8話 チョコレート味

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第8話 チョコレート味

 まず目を覚ましたのは耳からだった。なにをもって現実というかは別として、あたしの耳は確かに現実を捉えていた。  夢や幻の中では、音も光も純粋で綺麗だ。それがいまは雑多な匂いや薄明かりと混じって、音自体も、自分の呼吸の音、耳鳴り、焚き火の音、ぼりぽりとチモシーを囓る音、誰かの話し声、足音、風の音、樹々の騒ぐ音、誰かの寝息、ごくごくと喉を鳴らす音、雑多で汚れて統一感もリズムもないセカイ。  汚れた音がこのセカイの証拠であり、汚れた手でコネくりまわされたミンチのような言葉こそが、あるべき言葉だった。  ……ミフユ、起きろ。  野太い男の声が誰かを起こそうとしている。もちろん、あたしではない。少し離れた場所で、もう一人眠っている気配がしていた。それがミフユなのだろう。むにゃむにゃと不明瞭な少女の声が応じて、二人のやりとりが続いた。  ……ん〜、まだ眠い。。。  ……おい、学校へいく時間だぞ。  ……やだ、あと5分。って、ん! 学校?  薄く目を開いて見てみると、妹たちよりも幼い年頃の少女が勢いよく身を起こし、続けて勢いよく肩を落としていた。  ……ううー、もう学校なんてないのに。悪い冗談なのだ! ドーマのあほ!  言いながら、ぽかぽかと男の胸を叩いていた。ドーマと呼ばれた男は、少年というには大人っぽく、大人というには少年っぽい歳で、  ……わりぃ、わりぃ、懐かしくってさ。 と無邪気に笑って応じていた。  口を尖らせて不満そうな様子のミフユだったが、ぐぅー、と腹の虫がここまで聞こえる鳴き声をあげた。  ……むぅ、おなか空いたのだ。  ……ああ、飯にしようか。  ……ごはん、ごはん♪ って、またカロリーメイトなのかぁ。ぶぅー。  ……今日はチョコレート味だぞ。  ……な、なんだって〜!  と、そこまで聞いて、男が取り出したカロリーメイトがあたしの持ち物だと気付いた。コロニーから掻っ払ってきた特製の携行食だ。あたしの荷物を勝手に漁ったのに違いない。  思わず身を起こしかけて、背中にズキンと来た痛みで咳き込んでしまった。ドーマが立ち上がって近づいて来た。  ……よう、気が付いたかい? もう死ぬと思ったが、しぶといな。ああ、これな。トーキョーに出回ってるのはチーズ味ばかりで、さすがに飽きが来てたんだ。ありがたく頂いたぜ。  ……勝手に荷物を漁ったな。  ……いいじゃないか。助け賃だよ、助け賃。古いバイクを乗り回して、何のつもりかしらねぇけど、あのままじゃ死んでたぜ。あんた。  ……それとこれとは話が別だ。  ……ふぅん、元気そうだな。あんたも普通の人間じゃないってわけだ。まぁ、当然だよな。ここトーキョーで生きてるってだけで普通じゃねぇ。そういきりたつなって。  あんた、もしかしてコロニーから来たのか? いろいろ持ってたもんな。そうだ、肉も焼いてるんだ。そろそろ焼けるぜ。  香ばしく肉の焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。あわせてあたしの目に映ったのは、空のボールハウスだった。
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