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第5話 ヴァニタス
今日も四角い日常を過ごす。
アパートからほど近い雑貨屋『妖精女王』へ出向いて珈琲一杯で粘り、いろいろな物のデッサンをさせてもらう。
妖精女王はマスターが趣味でやっているような店で、お客さんは少ないし、静かでゆったりとした澄んだ空気に満たされている。
時折、居眠りしているマスターの寝息が聞こえてくるぐらいで、無心に鉛筆を紙に置いていく作業を続けていると此の世に存在するのは僕の指と紙だけのように思えてくる。
それをどこか遠くから宙に浮かぶ二つの眼が見つめているのだ。ヴァニタスを見つめる人々は、そうした眼だけのものとなる。
マスターが目を覚まし、大きな欠伸をして体を伸ばした。それに合わせて、クロちゃんが足を鳴らしてみせる。
「はいはい、いまあげますよ」
のんびりと声をかけながら、マスターがチモシーを取り出してクロちゃんのケージに継ぎ足した。マスターの手からひったくるようにして牧草に齧りつくのは、真っ黒なウサギのクロちゃんだ。ぽりぽりと一心に食べる様子が愛らしい。小さな前脚を揃えてぴょこんと立ち上がった姿はまさにピーターラビット。
この愛くるしさとは裏腹に、ウサギは繁殖力が強く、多産と豊穣と性のシンボルでもあるという。だから、プレイボーイのマークもウサギなんだ。そんなくだらないことを考えていると、マスターが楽しそうに話しかけてきた。
「シュウくん、何を考えてるの?」
「え、いや、別に……」
「わかった。みどりさんのことでしょ」
「え、あ、まあ。あれ以来、見かけませんね。僕がいないときにも来てないんですか?」
「来てないよ。本当に気紛れな人だから」
「そうですか。良ければ絵のモデルになってほしかったんですが」
「いやぁ、無理だと思うよ。そもそも話しかけても返事もしてくれないし」
となると、マスターから頼んでもらうのも無理なのか。そう思い、肩を落とす僕を慰めるように言葉を続ける。
「でも、めずらしいね。シュウくんって、物ばっかり描いて人物画はあまり描かないのに。まさか、みどりさんの背後にも髑髏を描こうっていうんじゃないだろうね」
「描きませんよ。髑髏を描き入れるのはひとつの様式です。時計であったり花であったり、空虚を表現しているんです。いまどき流行りませんけどね。空虚さは、慎ましさにも華やかさにも通じ、喜びにも悲しみにも通じます。そのぶつかり合いが好きなんです」
「……空の空、いっさいは空である」
にこりと微笑みながら、マスターは言葉を繰り返した。すべては空しい。
「コレヘトの言葉ですね」
「歳をとると、余計な知識ばかりが入ってくる。空しさゆえの救いなのかね。シュウくんはどう思う?」
問われ、口を開きかけた時、からんからんと鈴の音が鳴り、視界の端で白いワンピースがふわりと揺れた。
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