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第8話 カード
本格的な夏が始まっていた。
夏休みに入っても、ほとんど毎日のように雑貨屋『妖精女王』に通い詰め、夕方には公園でスケッチをする。四角の生活に大きな変化はない。金はなくても時間だけはある学生の特権なのだろうが、渦中にある限り実感もない。
周囲では絵に見切りをつけて公務員試験の勉強をしたり就職活動を始めている奴らもいる。ある意味では、それが賢いやり方なのだろう。
しかし、僕は自分の行く末を思い描けていなかった。僕の未来はラフなスケッチのままだ。白いキャンバスは無限の可能性を秘めているなんて言うけれど、本当は未来に何もないことの暗示かもしれないじゃないか。
無心に絵を描いているときだけは自分を忘れていられる。楽しいから絵を描くのか、忘れるために絵を描くのか僕にはもうわからない。
アルコール、ドラッグ、ギャンブルに溺れるのと同じ理由で描いているのかもしれないと思うと胸が痛くなる。
そんな憂鬱な夏を慰めてくれるのは、ユナちゃん、マキちゃんの幼い姉妹と、クッキーと、カードだった。
公園で僕を見かけると嬉しそうに話しかけてきて、描きかけの絵を見ては感想を言ってくれる。マキちゃんは、たいてい、うまいねぇの一言だけで、ユナちゃんは褒めてくれることもあれば、時には下手くそだとバッサリ切り捨てることもある。
子供というのは残酷だ。その言葉は時に鋭い真実を帯びる。触れれば致命傷になるほどには。だが、それだからこそ救われる。
二人からオヤツをわけてもらうこともあって、そんな時にはお礼がわりに絵のリクエストに応じたりもした。
するとまた二人のママからカードと僕用のオヤツが届くことがあった。一言、二言、暑くなってきましたねとか、いつも遊んでもらってありがとうございますとか書かれていて、それが公園に来る楽しみのひとつになっていった。マスターが入れてくれる珈琲のように。
僕の方も、絵に添えて簡単なメッセージを入れる。マキちゃんが転んでも泣かなかったこと、クッキーが美味しいこと、ユナちゃんが新しい靴を気に入っていることなどなど。
たわいのないやりとりが驚くほど心をすすいでくれる。朝のあいさつひとつが気持ちよく響くように。
僕はいまだに二人のフルネームを知らないし、母親についてはママとしか知らない。向こうも僕のことはシュウとしか知らない。互いに踏み込むことのない関係は心地よい。
はまっていたオンラインゲームのギルメンとの関係みたいだ。プライベートに踏み込むことなく、重い話題はスルーして、ただ楽しく。
でも、そんな関係が崩れる時は意外と早くやってきた。マキちゃんが僕のスケッチブックにウサギの絵を見つけたのだ。
モデルになったクロちゃんをどうしても見たいと言うので、すぐ近くの妖精女王へ二人を案内した。そこで、再び、みどりさんに出会ったのだった。
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