一杯目 青春味

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 頭を上げた女性は土間にあるスニーカーを履いて樹の前に来た。 「こちらがお品書きです」  彼女に渡された一枚の紙を受け取って確認したが、樹には訳が分からず彼女を見て首をかしげるしかなかった。しかし、彼女は微笑しているだけで何も言わない。  樹は再びお品書きに目を向ける。渡された紙に写真は載っておらず、店先にあった黒板と同じ筆跡で種類と思われる文字が羅列している。しかし、その羅列しているのが「青春」や「忘却」などで樹にはその言葉が表す意味がまるで理解できなかった。 「あの、これ、どうやって注文したらいいのか……」  一人で考えていても埒が明かないとあきらめた樹は女性に見せて尋ねる。すると、彼女は眉毛を上げてお品書きを見た。 「ウチでは氷にかけるシロップの名前をイメージで変えているんです。こちらの方が印象に残って売れ行きが上がると思って。あ、どれもちゃんとしたものなので、変なものは入っていないのでご安心ください」  明るい声で答える彼女を一瞥して、樹は再びメニューを確認する。確かにインパクトはあるが、何が何味なのかさっぱりわからないのでできるなら下に括弧でもいいので正式な味名を書いてほしいというのが本音だった。  うーん、と眉間にしわを寄せて樹はしばらく悩むが、何せ味が分からないのだから頼もうにも頼めない。右端からそのへんてこなシロップ名を眺めていると最後の名前に視線が止まった。 「あの、『オリジナル』って何ですか?」 「それは初代から続いている伝統のようなもので、その代の店主が作る当店特製のシロップです」  ですが、と彼女はきまり悪そうに人差し指で頬を掻いて苦笑する。樹は彼女のことを二十代後半と予想したが、その顔はもっと若く、少女のように見えた。 「今はまだできてないんです。私も何度も試行錯誤しているのですが、なかなかうまくいかなくて」  すみません、と謝る彼女を目の前にして樹は状況を理解するのに少し時間がかかった。『オリジナル』というシロップはこの店の店主が代々作ってきたその人特製のシロップで、彼女はまだ完成できてなくて……。  そこまでたどり着いた思考が一気に一つの結論へとたどり着いた。樹は驚きを隠せずに目の前に立っている少女のような彼女を見つめた。 「あ、あなたがこの店の店主なんですか?」 「はい、四代目店主の遠野(まつり)です」  ふふっと樹を面白がるように笑った祭の表情が先ほどとは打って変わり、大人っぽく見える。ころころと表情が変わる人だと不思議な目で見る樹は祭に興味を持ちだした。 「そうだったんですね。お若く見えたのでアルバイトの方かと」  初めはパートだと思ったことは伏せておく。違いがよくわからないが、樹の中ではパートはおばさんのイメージがあった。  樹の言葉の選択の真意など知る由もない祭は首を横に振って語を継ぐ。 「ここは昔からアルバイトを雇っていないんです。見て分かる通り、こんな感じなので」  苦笑を浮かべながら祭は手を広げて風鈴の根が良く聞こえる店内を見せる。確かにこの広さであれば多少忙しくなっても一人でどうにかなりそうな気がした。 「それで、どちらになさいます?」  祭の言葉でようやく本題を思い出す。普通のシロップと言っていたが、名前が分からないだけでその危険性はぐっと増して見える。どれを見ても樹の目には毒薬のようにしか見えない。頭を悩ます樹に祭りが人差し指を立てて見せる。 「もしよろしければお客さんに合ったものをお出しすることも可能ですが」 「僕に合ったもの、そんなことができるんですか?」 「はい。私が見て、今お客さんに必要なものをお出しするんです。理由は分かりませんが、代々そういう目に長けているようでして」  自信ありげに祭は胸を張って腰に手を当てる、  樹は祭が和菓子屋の店主ではなく、胡散臭いマジシャンか占い師のように見えてきた。どうりで店内で閑古鳥が鳴いているわけだ。  どうしようか悩んだが、どうせ爆弾を選ぶなら一番威力の弱い方がいいと思うし、そろそろ喉の渇きに我慢の限界が近づいていた。 「それじゃあそれでお願いします」 「かしこまりました。ちょっと失礼しますね」  祭は一歩、二歩と樹に近づき、ぐっと顔を寄せて樹の瞳を見つめる。暑さとは別の汗が垂れてくる樹は絞り切った微かな唾液をごくりと飲み込む。  しばらく見つめ合ったのち、すっと身を引いた祭は迷いなく和室に上がり、随分年季の入っている重そうなかき氷機とこれまた重そうな壺を樹に見せるように持ってくる。  それから祭は慣れた手つきで奥からとってきた氷をセットして横についている取っ手を持つと、身体全体を使って回し始める。  ガリガリと懐かしい音とともにみるみる下の器に白い雪が積もっていく。その雪はたがいに潰さないように花弁のように落ちていき、最終的には氷山と化す。  その山を崩さないように慎重に取り出した祭は左手に持った小さな柄杓を壺の中に入れて掬い上げたものを先ほどの氷の山頂からゆっくりとかけていく。白い雪はたちまち空の色へと変わっていく様子を樹は子供のように眺めていた。 「はい、お待たせしました。こちら『青春』になります。お代は二百円です」  氷にプラスチックのスプーンを差して祭が渡してくるのを落とさないように受け取る。こんもりとした山が揺れるたびに背筋がすっとする。これは早く食べたほうがよさそうだ。
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