一杯目 青春味

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 卒業以来来ていなかった食堂は相変わらず人であふれていた。食堂でゆとりを持っているのは席に着いている人だけで、ほかの生徒は獲物を狙うライオンのように鋭い目を光らせて机の間を歩いている。席が空けば名の通り、食堂は椅子取り合戦と化すのだ。  出だしが遅れたにもかかわらず、運良く座れた樹たちは各自買ってきた昼食を食べ始めた。樹はきつねうどんで勇磨は唐揚げチーズカレー、そして美有はサンドウィッチとパンだ。  もう会うことはないと思っていた二人と当然のように昼食をとっているこの光景が樹にとっては不思議で、あの胃に優しいうどんですらなかなか喉を通らない。 「でさ、最後の五メートルくらいは足が着く寸前で、樹のあれは泳いでないね。完全に要救護者だったわ」 「へえ、見てみたかった。樹って泳ぐの苦手なんだね」  向かい合わせに座っている勇磨たちの会話に波はなく、ずっと上機嫌に弾んでいる。二人の顔をまともに見られない樹だが、対面で豪快に麺をすすっている坊主頭の生徒を見ているわけにもいかず、目のやり場に困っていた。  結局うどんのスープに映る自分を見ることに落ち着き、でも気になって対角に座っている美有に目をやる。  肩にかからないほどの黒髪、すっと通った鼻筋、ハリのある唇、美有を見ていると昔抱いていた恋心が少しだけ顔を覗かせる。気を紛らわすために通らないうどんを無理やり口に流し込む。  うどんをすするとともに樹は苦い記憶を思い返す。この恋煩いのせいで勇磨たちとは気まずくなり、卒業してから一切会わなくなったのだ。  美有との初対面は高校一年の四月だった。  学区の異なる高校ということもあって、クラスメイトに樹の知り合いは一人もいなかった。周りも樹と同様で探り探りで話しかけるのかと思えば、水と油を分けるように一瞬でクラスが幾分割に区切られた。 樹は完全に属することに遅れて途方に暮れていた。その時に声をかけてくれたのが隣に座っている勇磨というわけだ。 誰にでも優しい勇磨は特に仲のいいメンバーはいたものの、女子にも樹のように路頭に迷う生徒にも気さくに話しかける男だった。 そんな彼に会うために二つ離れているクラスから遊びに来たのが美有だった。二人は小学校からの幼馴染ということもあって、まだ違和感が漂う教室で息のぴったりな掛け合いが繰り広げられて皆が注目していたことを覚えている。 たびたび美有が樹たちのクラスに遊びに来ることで、いつの間にか樹も二人とともに行動する日が増えていった。 三人で行動することが増え、周りから「仲良し三人組」と称されることもあったが、今思えば樹の中では初めて美有と会ったときから彼女への気持ちは友情ではなかった気がする。 「……つき、樹!」  大声で呼ばれて慌てて顔を上げると、先ほどいた坊主の男子生徒はすでにいなくなっており、代わりに美有の顔がすぐ目の前にあった。鼻が擦れるほどの距離に椅子ごとのけ反る。あまりの勢いに後ろの椅子の背に激突して座っていた女子に変質者のように睨まれる。  ひたすら謝る樹を見ながら二人はケタケタと笑っている。この場から早く去るように樹はお盆を持って長机の間を抜ける。 「さっきの子、めちゃくちゃ怖かったな」  その言葉とは正反対で笑いの止まらない勇磨を少し睨んでみる。勇磨は完全に樹で遊んでいる目をしていた。 「そりゃあ、あれだけ近くに顔があったら驚くよ」 「何度も呼んだのに気づかないんだもの。何考えていたの?」  隣でビニール袋を振り回している美有が樹の顔を覗き込む。 「さては好きな人でもできたのか?」  お盆を返却口に置いた勇磨が不敵な笑みを向けてくる。『燃えないゴミ』と書かれたゴミ箱に袋を投げ入れた美有も「そうなの!」と大層驚いた顔をしている。  興味津々な二人を前にして、樹は口を噤むしかなかった。好きな人のことを考えていたのは事実だが、それをいきなりカミングアウトするわけにもいかず、かえって自分が本当はアラサーのおじさんで二人と会うのは十数年ぶりだとは口が裂けても言えない。
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