婚約者の足跡

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 同じようなことは、妻の両親にも保育園の先生にも言われました。それで、私も息子の言動を確かめてみることにしました。  仕事が休みの日、私は息子を連れて近所の公園に遊びに行きました。近くに住む同じ年頃の子供も来ていて、息子も仲良く遊んでいます。その様子は、どこも変わったところはありません。やはりみんな気にしすぎなんだろう、そう思っていたところです。  息子が、公園内に植えられた木のそばの、何もない空中に向かって不意にしゃべり始めたんです。  それが、何らかの言葉であることはわかりました。しかし、何語かさっぱりわからない。何をしゃべっているのかもわからない。しかし息子は、そのわけのわからない言葉で楽しそうにしゃべっているんです。まるでそこに親しい誰かがいるように。  しばらく会話した後、息子は手を振りました。見えない誰かは帰って行くようです。  さくり。  軽い音がしました。  息子の横にあった砂場に、小さなへこみが出来たのが見えました。何もないのに、さくりと。見ていると、少し離れたところにまた、さくり。  足跡だ。直感しました。  何故だか、そう思えたんです。  足跡はそのまま、どこかへ遠ざかって行きました。息子はそれをじっと見ていました。 「さっき、誰と話してたんだ?」  公園からの帰り道、私は息子に訊いてみました。何気なさを装ってはいましたが、少し声が震えていたかも知れません。 「キィちゃんだよ」  と、息子は答えました。  キィちゃん、というのは私の耳にそう聞こえたというだけで、正確には少し違う発音のように思えます。違う人間が聞いたら、違うように聞こえるんではないでしょうか。ここでは便宜上キィちゃん、としておきます。 「キィちゃんはね、僕が一人でいる時に話しかけて来たんだ。すぐにお友達になったんだよ。色々、面白いお話を聞かせてくれるんだ。キィちゃんてほんとはもっと長い名前なんだけど、短くしてキィちゃんて言ってるんだ」  キィちゃんのことを語る息子はとても楽しそうで、本当にキィちゃんのことが好きなんだということがわかります。やはり息子は、母親がいない寂しさをこの小さな体の内に秘めていたのかも知れない。私はそう感じました。  しばらく話していると、息子は少しうつむいて言いました。 「でもね、キィちゃん、もう少しでお家に帰っちゃうんだって」 「……そうか。それは寂しいな」 「だからね、僕、もっと一緒にいたいなって言ったんだ。そしたらキィちゃん、ケッコンしたら一緒にいられるよって言ったんだ」  それは、子供の無邪気な言葉に過ぎないのでしょう。しかし私は、どういうわけかこの言葉を聞いた時、ぞくりと背筋に寒いものが走ったのでした。 「それで……結婚するって言ったのか、キィちゃんに?」 「うん。そしたらね、キィちゃん、約束だよって言ったんだよ」 「──キィちゃんはお家に帰るんだったな。いつ頃帰るかって、言ってたかい?」 「次の日曜だって」
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