婚約者の足跡

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 その日は、とても寒い日でした。朝からちらほらと降っていた雪が、夕方になると本格的に降り積もり始めました。  私は何か気になって、その夜は息子と川の字──二人なので刂の字になって寝ていました。  真夜中。  私は不意に目が覚めました。  横を見ると、寝ていた筈の息子が上体を起こしています。息子は、窓の方をじっと見ていたのです。  息子に声をかけようとした、その時です。  窓の外から、声が聞こえました。  風の音かと一瞬思いましたが、すぐに違うとわかりました。何かが……息子を呼んでいる。  私は咄嗟に、息子を毛布に包んで抱きしめました。窓の外にいる何かから、息子を守る為に。窓の外の声は、ひたすら息子を呼んでいます。いけない。あれに息子を渡してしまってはいけない。それは親としての直感でした。  強い風が吹いているかのように、窓がガタガタと揺れます。それに反応するように、腕の中の息子がもがきました。私は必死で息子を抱きしめていました。  ──コウイチクン。  窓の外で、呼んでいます。  ──ヤクソク。  ──ケッコンスル、ヤクソク。  ──ヤクソクハ、マモラナイトイケナイ。 「結婚は、出来ないんだ!」  私は叫んでいました。  ──ドウシテ。  窓の外にいるものが訊いて来ました。 「それは……幸一はまだ子供なんだ。子供は結婚出来ないんだよ! そういう決まりなんだ! 二十歳……せめて二十歳になるまで待ってくれ!」  今思えば無茶な理屈ですが、その時の私にとっては何でも良かったんです。しかし、「決まり」という言葉は相手には効いたようでした。  ──キマリナラ、シカタナイ。  ──コウイチクンガ、オトナニナルマデ、マツ。  ──モウ、カエラナイト。  窓の外から、何かが去って行く気配がしました。私は安堵し……そこから先は、よく覚えていません。  気がつけば、朝になっていました。私は息子をしっかり抱いたままで、息子はすうすうと寝息を立てて眠っていました。  私は念の為、外に出て辺りをうかがってみました。外には昨日からの雪が積もっていましたが、その雪に。  家の周りをぐるりと囲むように、足跡がついていました。公園で見たものでした。人のものとは明らかに違う。しかし、犬猫や他の動物のものとも違う。それでも確かに、それは何かが歩いた足跡なのだとわかるのです。  足跡は家の周囲を歩き回り、軒や屋根の上まで伸びていました。はしごをかけて屋根に登ってみると、足跡は屋根の上で不意に途切れていました。まるで、その場で空の上に舞い上がったか、虚空に消えてしまったかのように。
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