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変わり映えのない街並みをぼんやりと眺め、思いに沈んでいた俺の耳に、目的地の駅名が流れてきた。
うろ覚えのままになっていた瑞希の説明を思い出しながら電車を降り、タクシーか走るか悩みつつ陸橋への階段に急ぐと、再び轟音がして電車がホームを出て行く。
その車体を目で追い、次に入る電車に山崎達が乗っていることを祈って、階段を駆け上がった。
走りながらもう一度携帯を取り出し、時間の確認をする。
15:27と表示された画面を見て溜息が漏れた。
駅に着いたら何とかなるかと思っていたが、そもそも武道館がどこにあるのかさえ見当もつかない。
時間のロスはある程度覚悟し、とりあえずタクシーを探すことにして携帯を胸ポケットに入れ替えた。
陸橋を渡り終え改札口を出て辺りを見回していると、いきなり、
「いい加減にしてくれ!」
嫌悪感をあらわにした、鋭い拒絶の声が飛び込んできた。
反射的にそっちに目をやると、部活帰りなのか、駅前の自転車置き場(放置場?)で、泥に汚れた野球の練習用ユニフォームを着た奴が自転車に跨り、荷台を掴んで離そうとしない大柄な男を振り向いて、険しい顔付きで睨みつけていた。
自転車の彼は俺と同じ年くらいに見える。
その着ている服に吸い寄せられ、自然にそこに向かって駆け出すと、「ちょっと!」と、声を掛けていた。
「取り込み中悪い! 急いでるんだ。この近くで剣道のインハイ予選してる武道館、知らないか?」
大柄な男が「何だ? こいつ」と言いたげに、無理矢理割り込んだ俺を一瞥し、
「知らねえよ! 邪魔すんな!!」
と怒鳴りつける。その声に続いて、
「武道館? それなら駅の出口、反対だぜ」
自転車に乗った彼が、視線を俺に移した。
真っ直ぐ見つめる意志の強そうな瞳が、俺の思惑を察したのか二、三度瞬き、ふっと和らいだ。
「乗れよ、急いでるんだろ。近道知ってる」
「おい、まだ話ついてないだろ!」
男が少年を止めようと荷台を掴んでいた手を離し、今度は彼の肩に腕を伸ばす。
それを避けるようなタイミングで自転車が前に進んだ。
すかさず荷台を掴み、力一杯押しながら舗道を走り出す。
不意を衝かれ肩透かしを喰った大男に「悪い!」と声を掛けて、サドルの端に両手を持ち替え、荷台に飛び乗った。
勢いのついた自転車は、見る見る残された男との間に距離を作っていき、角を曲がって完全に視界から消えてしまった。
「―――もしかして、余計な事したか?」
黙ったままペダルをこぐ自転車の持ち主の様子が気になり、心配になって尋ねると、
「そんな事ない、助かった」
そっけなく言った後で、「なに…武道館は口実だったのか?」
と、逆に訊かれた。
「いや、武道館には行きたいんだけど……」
答えかけて、あれ? と首を傾げる。「ほんとに近道知ってるのか?」
「もちろん、この辺は俺の庭だからな。とばすぜ、振り落とされるなよ」
言うなりスピードを上げた彼に驚いて、腰に腕を回しきつくしがみついた。
どっちが助けてもらってるんだか…と苦笑を漏らし、
「悪い、ありがと」
背中に向かって頭を下げると、不快じゃない汗のにおいが鼻先を掠めた。
……こいつも野球の練習した帰りなのか、なら…もしかして敵になるかも。
そんな事を考えていると「なあ」と、前から声がした。
「なんで剣道なんだ?」
その唐突な問いに、戸惑ってしまった。
「――『なんで』って……」
どう答えればいいのか、第一質問の意図がわからない。
初対面の奴からされるような問いかけじゃない気がしたせいだ。
口ごもった俺に気付いたのか、自転車をこぐ彼が付け足した。
「今頃行くって事は、部員……じゃないよな? もう試合も終るんじゃないのか?」
「ああ、そういう意味か」
納得してふっと笑った。「いいんだ、ただの自己満足だから。大切な奴が出てるんだ」
そう答えると、彼の方もすぐにその意を汲んだらしく、納得したように頷いた。
「ふーん、なるほどね。―――」
最後に何か呟いたようだったけど、風と車の音に掻き消されてはっきりとは聞こえなかった。
何回か角を曲がり、そのたび本当に振り落とされそうで、不本意ながらも回した腕に力を込めると、からかうようにわざと車体を必要以上に傾ける。
乗せてもらっている手前、文句も言えず荷物よろしく黙っていたら、しばらくして自転車のスピードが僅かに落ちた。
「ほら、あれがそうだ。ドーム型の屋根が見えるだろ?」
その声に前方を見やり、目を見張った。
突然開けた眼前に、想像以上に大きく、ベージュ系をベースにした落ち着きのある建物が、新緑の広葉樹に囲まれ出現していた。
近代的な中に重厚さと厳粛さ、それに威圧感さえ漂い、圧倒されてしまう。
「―――ここがそうなのか……」
半ば呆然とその建物を眺めている間に、車用のロータリーに沿った舗道に自転車が滑り込んだ。
「二階へは外階段が近いから、そこを上がって行けばいい」
幅の広い階段を指差し教えてくれる彼に、自転車を降りて礼を言うと、
「そいつ、勝ってるといいな」
屈託のない笑みを寄越して、「じゃあな」と、走り去ってしまった。
そのあっさりとした態度に好感が湧く。
俺が急いでいると知ってたからかもしれないけど、名前くらい訊いておくんだったと後悔したのも束の間、教えられた階段を一気に駆け上がり、ドアを押し開けた瞬間、忘れてしまった。
この中で、今……あいつは戦っているのかもしれない。
マリンパークを出て、約一時間十五分。
予想外の速さで着いたのはもちろん嬉しい。
けど、ここに――約束の場所に自分がいること自体、夢のような気がしていた。
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