見つめる先に

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  ほとんどの人が席に着き、あるいは手摺りに寄りかかって、試合場を見下ろしている。  その中を西城剣道部員の元へ急いだ。  彼らを見下ろす所まで来ると、階段を下りて一番端に座っていた本城の肩を叩き、隣にしゃがんだ。  ……しかし、足の踏み場もないというのはこういう事かもしれない。と思える程、人と荷物とでどこもかしこもごった返している。  ざっと見ても千人以上。その人数に驚いてしまう。  それ以上に肩を叩かれた本城が、びっくり(まなこ)で俺を見た。 「瑞希の調子、どうだ?」  挨拶抜きでいきなり本題に入ると、本城も心得たもので、 「今のところ上々」  内心の驚きは後回しにして短く答え、「この試合が決勝と思っていいよ」  さっきの岸さんと同じような事を言った。 「そっか、サンキュ。間に合ってよかった」 「びっくりしたよ、藤木も来てるんだ」  そう言って藤木を指差す本城に、「向こうから見えた」と自分のいた場所を教える。  お互い小声でのひそひそ話だ。 「心境、複雑だろうね」  あえて主語を省いた本城の気持ちも複雑らしいが、ここには仲間がいる。 「――俺、藤木の所に行ってみる」 「大丈夫?」 「多分」 「そう。…ま、僕達より北斗の方がいいよね、頼むよ」  緊張した面持ちで、それでも少しだけ笑顔を見せた本城が小さく手を振った。  俺はまた人を避け、荷物を跨ぎながら、今度は中間にある通路を一ブロック移動して、中ほどに座る藤木に背後から声をかけた。  周りから拍手が起こる。  選手の入場らしい。  邪魔をされたからか、『誰?』と睨むように振り向いた瞳が大きく見開かれ、すぐに満面の笑みになり、「北斗!」と俺の名を呼んだ。  その豹変ぶりをからかう隙も与えず、 「来れないんじゃなかったのか? でもすごい、ナイスなタイミングだよ」  早口に次々と言いたい事を並べ立て、隣の席に置いてあったバッグを掴み、自分の足元へ突っ込んだ。 「ここ、そこから入れる?」 「……いいのか?」 「平気。さっきまでこの辺、北英の生徒が座ってたんだけど、負けて下りて行ったところだから」  急かすように手招きされ、誘われるまま今度は手摺りを跨いで、後ろからシートに座った。けど、何となく気が引ける。  そんな俺の胸中を察したのか、バシバシと肩が強く叩かれた。 「大丈夫だって。それよりほら、すぐ始まるよ」  階下に視線を移し口を閉ざす藤木に習い、俺も試合場を見下ろして、垂れに「吉野」の苗字を見つけた。  背中には白い布が閃いている。  その途端、図らずも目頭が熱くなった。  ここに来る間に色々と思い出したせいか、岸さんの話を聞いたからか――  瑞希にとっても、ここまでの道は険しかったに違いない。  ただ『感無量』、そんな気分で試合に臨む瑞希を見つめた。  それにしても、と思う。  瑞希との再会が……十二年前の事故がなかったら、こんな機会も一生なかった。  剣道の正式な試合を初めて目の当たりにして、野球との違いを改めて思い知らされた。  日本武道独特の、相手を重んじる一対一の相互の礼は、ざわついていた会場を凛と張り詰めた厳粛な空気に変えてしまう。  次の瞬間、俺の目は第六試合場の二人に釘付けになった。    ―――一言もない。  本当にあれが所構わずうたた寝している瑞希なのかと疑いたくなるほど、素人の俺でも二人のレベルの高さがわかった。  竹刀捌き一つにしても、切り返すスピードが全然違う。  瑞希が竹刀を扱うのを初めて見たのは去年の夏、田舎の母校の部活でだったか、その時も彼の強さに『師範並みだ』なんて感心したけど、あの時ですら相手に合わせ手加減していたらしい。  二人まったくの互角に見える。  お互い仕掛けてくるのをかわして次の攻めへ。  見ている側も息をつく暇のない激しい攻防。竹刀がどう動くのか見当もつかない。  ハイレベルでの戦いは、会場全体を完全に黙らせ、第二会場で行われているもう一つの準決勝は、すっかり頭から除外されていた。  突然のベルの音と大きな拍手にビクッとしたのを見たのか、フフッと笑いを漏らした藤木が、制限時間の合図だと教えてくれた。 「こっちは延長戦だけど、向こうは勝負着いたみたいだね」  言いながら目線で示す方をつられて見ると、選手が竹刀を手に引き上げるところだった。 「一本勝ちだ」 「『一本勝ち』、…勝ち方に種類もあるのか?」  そう聞くと、こくんと頷く。 「俺、詳しいルール全然知らないんだ」  自己申告したら、藤木がにこっと笑い、 「うん、後で教えてもらうといいよ」  と言う。「誰に?」とは、訊く必要もなかった。  延長戦がすぐに始まる。  今度は至近でのせめぎ合いになった。  相撲でいうところの『がっぷり四つ』の状態、だろうか。  心の中で考えて、自分の日本武道に対する認識の欠如に頭を抱えたくなった。  ――俺、一応日本人だよな?  何となく自信を失いかけた時、藤木さんが瑞希を力一杯突き放した。  その激しさに、瑞希の身体が床に叩きつけられる! 「瑞希!!」  思わず前の背もたれを掴み叫んだ。  すぐ我に返り……それでも瑞希から目が離せない。  藤木さんが、竹刀を振りかぶり面を決めに走る。 『避けろ!』  今度は心の中で念じた。  その願いが通じたのか、瑞希が身体を反転させ、藤木さんの狙いを逸らして上半身を起こし、もう一度振り下ろされた竹刀を自分のそれではね返した!   そのまま、片手で持った竹刀を藤木さんに挑むように向ける。  凄まじいまでの二人の気迫に、会場中が割れるような大きな拍手と声援で盛り上がった。  その間僅か数秒、俺の前方に座る高校生のざわめきに、はっとした。 「瑞希! 足ッ!!」  立ち上がり再び叫んだのと同時に、主審の「止め」、と言う声が響き、ほっと気が抜けてシートにドサッと身体を預けた。  今の瑞希には藤木さんしか目に入ってないんだろう。  倒れてからの激しい動きで袴の裾が捲れ、膝を立てた片足が太腿近くまで出ていたのに気付いてもいない。  しなやかな、それでいて女性のように滑らかな瑞希の足。  誰にも見せたくないのに、あいつはそんな事、これっぽっちも気にかけやしない。  当の瑞希は…と見ると、やはり声は届かなかったのか、慌てる様子もなく立ち上がり、その場で身体の力を抜くようにピョンピョンと軽く跳んでいる。  その姿に、俺まで力が抜けてしまった。  転んだ事による後遺症はなさそうだ。  怪我とかも……してないみたいだ。  だけど――  前の奴らのざわめきが気になった。  普通ならあれくらいで騒いだりしないはずだ。 「――吉野だからだよ」  考え込む俺の隣で、冷静な声がした。 「よくも悪くも人目を惹きつける。それが吉野だ」  苦笑を漏らして藤木が呟く。 「そうか、…そうだな、それがあいつだったな」  微妙な気分で納得して、そんな瑞希に益々魅力を感じてしまう自分に、こっそり溜息を吐いた。  ――重症だ……。
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