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再開の合図で再び藤木さんに向かう瑞希の動きは、激しい応戦で疲れるどころか、もっと集中力が増したように見えた。
迂闊に近付く事ができない、張り巡らされた神経。
けれど繊細ではない、力強く小気味いいほど卓越した竹刀捌きと、俊敏な身のこなし。
藤木さんの、冷静で平常心を貫くようなタイプとは対照的だ。
だからこそ、見る者まで熱くさせる。
そして今、瑞希の熱を最大限に引き出しているのは、やはり藤木さんだった。
「二人共、楽しんでるね」
「……みたいだな」
死力を尽くして戦い、お互いを本当に認め合った時、勝敗はただの結果にしか過ぎないのかもしれない。
この戦いがどんな結末を迎えても、きっとここに居合わせた皆の心に刻み込まれる。
そう感じ、多分最後になるだろう攻防を見守っていると、
「透が引退する前に、この試合が実現できて本当によかった」
藤木の、心からの声が届いた。
「今日、この場所で見られた事もね」
眼下の二人から目を逸らさずに話す友人をちらっと見ると、胸の前に組んだ両手が微かに震えていた。
「そうだな、…俺も、そう思う」
心優しく頼もしい瑞希の後輩の、はにかんだような笑顔が脳裏に浮かぶ。
その隣に立ち、シッシッと手を払って俺を先に行かせてくれた、口の悪い幼馴染も、俺の大切な仲間だ。
彼らの厚意でここに来る事ができた、一瞬でも見逃せない。
そう思った矢先、二人ほぼ同時か、瑞希の方が僅かに遅れて動いた。
ダンッと踏み込む床を蹴る音と、バシッ! という乾いた音が会場に響いた。
勝負は一瞬だった。
どちらの竹刀がどこを捉えたのか、早すぎてわからなかったけど、瑞希の背中に結んである白い布と同じ白旗が二本上がり、会場からは拍手と、同じほどのどよめきが起きた。
―――勝った……のか?
野球のようにはっきりしないから……いや、二人が拮抗した力量だから、勝敗も俺の目には正直よくわからない。
審判の旗だけが頼りだった。
だけど、戸惑いは俺だけではなさそうだ。
瑞希への賞賛は然る事ながら、藤木さんの負けに明らかな失意と動揺を隠さない観客も意外と多く、その人気の高さを目の当たりにして……瑞希の事が心配になった。
それと同じくらい気に掛かる奴が隣にいるのを思い出し、つと横に視線を移して―――
息を呑んだ。
礼を交わし、試合場を立ち去る後姿を、瞬きもせず黙って見守る藤木の、白い頬に伝い落ちる一筋の涙―――。
彼の瞳は、間違いなく藤木さんを追いかけていた。
何も言えず、視線をさり気なく階下に戻し、誰もいなくなった会場を見つめていると、
「ごめん北斗、驚かせて」
しばらくして、藤木がズボンのポケットからハンカチを取り出し、瞼に当てて、「僕もびっくりした」と照れたように笑った。
「別に、辛かったわけじゃないんだ。ちょっと感動しただけ」
「……ああ、いい試合だった。けど、凄すぎて圧倒されてしまった」
ポリポリと頭を掻いて率直な感想を言うと、
「そんなの当たり前。県…全国でもトップレベルの二人だよ」
呆れたようにハンカチの隙間から睨まれた。
「――全国、か。そう言われてもなぁ」
腕を組み、シートにもたれて瑞希の普段の姿を思い返す。
「『やっ、たっ、とう!』なんて言いながらきゅうり切ってるとこ見てるから、どうもピンとこない」
「吉野、きゅうり切ったりするの? それの方がピンとこないよ」
キッチンに立つ瑞希を想像しようとしたのか、藤木が眉間にしわを寄せた。
「まあな。俺も最初は怖かったけど、今はわりと上達したぞ」
「ふーん、……北斗が教えてるの?」
興味深そうに俺の顔を覗き込む。
「他に誰が教えてやれるんだ? けど、何回言っても全然変わらない事もある」
溜息混じりにぼやくと、藤木が用無しになったハンカチをポケットに仕舞いながら、「うん?」と聞き返した。
「あいつ、そこら辺ですぐうたた寝するんだよな」
「うたた寝? 吉野が?」
首を傾げて尋ねる藤木に、軽く頷いてみせた。
「そ。最初なんか大川の川土手で爆睡してたんだぞ」
信じられるか? と訴えた俺を見て、藤木がクックッと笑い出した。
「……何だよ」
「ごめん。外でも寝るのが吉野らしいというか、何と言うか……」
すぐに謝り、そのまま肩を揺すって笑う。
涙は引っ込んだらしいが、笑い声はしばらく続きそうだった。
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