見つめる先に

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『――――只今より、男子個人戦の決勝戦を行います―――』    そのアナウンスに、場内から準決勝の時以上の大きな拍手と歓声が起こり、俺も自然と拍手を送った。  会場中が熱気に包まれ、優勝をかけて戦う二人を一目見ようと、全ての視線が決勝戦の行われる第二試合場へ注がれていた。  防具を身に付け、竹刀を手に白線へ歩いて行く瑞希の姿は、顔も見えないのにやはり気品と気高さを感じる。  だけど今は、それに静かな闘志、というか迫力まで伝わってきた。     集中しているのが手に取るようにわかる。  大丈夫だ。会場の雰囲気に飲まれてはいない。  細身の身体がすっと沈み、蹲踞する。  流れるような動作で竹刀を合わせ、最後の試合が始まった。    大柄な相手―桜華学院の松坂だと藤木に教えられたけど、もちろん俺は全然知らない。  そいつが力のままに攻めてくるのを竹刀で何度か受けてやり過ごし、僅かに後退して間を取った。  相手の竹刀が小刻みに揺れフェイントをかける。  次の瞬間、ダンッ! と踏み込み、瑞希の胴めがけて唸る竹刀を、動きを見切っていたかのように鮮やかにかわし、そのまま相手の面にパンッ! と思い切りよく打ち込んで離れていった。 「上手い! 引き面決まった!!」  藤木が手を叩くのと同時に、審判が白旗を三本上げた。  まだ開始から三十秒経ってない。  短い、…けど場違いな口笛の音が聞こえ目を遣ると、 「はや! 今の見えたか?」 「松坂さん強引すぎだよ、焦ってんのかな」 「藤木じゃないんで自棄(やけ)起こしてんだろ。心配ないって、まだ始まったばっかだ。今ので冷静になったはずだぜ」  桜華学院の部員なのか、数人が俺達の前方で観戦しているらしい。  あまりに早く取られた一本に不満を漏らしている。  なんとなくガラは悪そうだが、『今ので冷静になった』、という意見には俺も同感だった。 「二本目」  主審の声で、再び会場がしんとなる。  今度は相手もやはり単純には攻めてこない。  互いの竹刀を打ち合いながら、近付いては離れ、仕掛ける素振りだけ見せて、本当に打ってはいかない。  どちらが主導権を握っているのか……読めない。  一本取っている瑞希の方が有利なはずとは思うが、それ程の余裕を瑞希の動きからは感じなかった。  相手も最初の一本はまぐれと思う事にしたらしく、急に攻撃的になって攻めに出た。  力強く、空気を裂くように迫る竹刀が、数段早いスピードのそれでバシッと叩き落とされた!  瑞希の渾身の一撃に意表を衝かれ、相手が僅かに怯んだ、と思った次の瞬間。 「面ッ!」  パンッ!!  瑞希の鋭い声と共に壮烈な音が響き、二度目の面が炸裂していた。  ……呆気に取られ、開いた口が塞がらない。  なんて奴! 凄すぎて言葉もない。二分足らずであっさり決めてしまった。  藤木さんと対戦した時には、確かに互角に見えた。  けど今、優勝決定戦のはずなのに、力の差が歴然と伺える。  桁外れに強い瑞希に圧倒され、会場の拍手すらまばらになっていた。  前に座る相手校の剣道部員からも、囁き声すら聞こえてこない。  試合後の余韻も何もない。  ただ呆然と、挨拶を交わす二人を見下ろしているだけだった。  ―――『次の準決勝が事実上の決勝戦だろう』。  岸さんの言葉をぼんやり思い出していると、 「吉野、なんだか怒ってなかった?」  藤木がぽそっと声をかけてきた。 「え、……さあ?」  他の観客と同じに、ぼけっと階下を見下ろしていた俺は、藤木の質問の意味さえ図りかね、返事に困った。 「瑞希が凄すぎて……最後なんかあいつの動き、全然見えなかった」  苦笑いするしかない。野球のボールなら見極める自信あるんだが。 「相手が一瞬怯んだのはわかったんだけどな」 「うん、吉野もそれを読んでたみたいだ。じゃないと出端を挫くようにあんなに力一杯、相手の竹刀叩きつけたりしないよ」  そう言いながら、さっきの瑞希の竹刀捌きを真似て見せる。 「で、すぐに切り返して面、狙ってたと思う」 「そうなのか? ……なんか、奥が深いよな」  藤木の説明に耳を傾け、なるほどと納得して、それなら……と、さっきの藤木の疑問について自分の考えを言ってみた。 「でも、冷静だったと思うぞ。そんな自分の感情を露にした精神状態で、あんなに簡単に勝てるほど甘いもんじゃないだろ?」 「それはそうだけど、攻め方に違和感を感じた、というか……」 「―――?」  続きを目で促すと、言葉を探しながら藤木が再び口を開いた。 「今日観戦して思ったんだけど、吉野はさ、楽しんで剣道するんだ。力で相手を怯ませるような戦い方は好まない。実際透とした時とは対照的で―――あ!」  言いかけて小さく叫び、それきり黙ってしまった。 「どうかしたのか?」 と覗き込むと、 「……もしかして、透の為かも」  ぽつりと呟いた。 「藤木さんの為? どういう意味だ?」 「透が準決勝で負けたからさ。…この会場の人達、半分以上透を応援してくれてるんだ」  自慢する風でもなく二階席をぐるっと見て、岸さんと似た事を口にした。 「当然決勝まで勝ち上がる期待も込めてね。それもあって僕は吉野を応援してたんだけど――」  一旦言葉を切って、今度は目の前に座る観客に目をやった。 「ほら、吉野が勝った時、ブーイングが起きただろ?」 「ん? ああ、あの騒々しかった時か……」 「そう。『がっかりー』とか『大した事ないじゃん』とか言ってたのが、吉野にも聞こえたんだよ」 「―――で?」 「それを聞いた吉野が、腹を立てた」 「ふん、……それで?」 「だから、力の差を見せつけるような勝ち方をした」 「瑞希が? それこそありえないだろ」 「そうかな? 吉野って見た目はほんとにクールだけど、ハートは熱すぎるくらい燃えてるだろ?」  その瑞希に対する印象に、話の内容は俺にとって深刻なものだったはずなのに、思わず笑い出しそうになった。  的を射ているというか、本質を捉えているというか……。  俺の返事を待たずに、藤木が瑞希の性格に重ね合わせ、あいつの心の動きを辿った。 「透が侮辱されたのが許せなかったんだよ。だからその強さを証明する為に、短時間で勝ちに行ったと思う。決勝戦であっさり勝った吉野が、準決勝では延長にもつれ込んだ――。見ていた皆が思い出すだろ?」 「……まあな」 「なら、吉野を苦しめた「藤木透」はやっぱり強かったんだ、という事になる」 「―――そうだな」 「……不服そうだね」  俺の受け答えが不満…というわけじゃなく、藤木が首を傾げた。 「でも僕は本当に吉野がそう考えて試合に臨んでいたとしたら、やっぱり嬉しいよ」  少しだけ笑みを浮かべ……階下に視線を落として、表彰式の準備に忙しく動きはじめた大会のスタッフを目で追った。
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