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平日ならこの時間帯は帰宅ラッシュになるところだけど、遊んで帰るにはまだ少し日が高いからか、特急を待って乗ったせいか、電車の中は比較的空いていた。
にも関わらず団体で乗り込んできた俺達を見て、うるさくなりそうだと察したのか数人の乗客が隣の車両に自主的に避難していき、一両の三分の一近くを西城の学生が占めた。
皆大柄なせいか幅を取るから、本城はもちろん俺まで華奢に見えてしまう。
その、なりだけ大きく中身は五才児並の奴らが席の取り合いを始めない内に、俺の手の届く所に置いておこうと、それぞれの手首を掴んで有無を言わせず引っ張っていった。
結果、左隣りに北斗、山崎、松谷、関。右隣りに久保、本城、新見。正面に野球部の後輩六人が座る事になった。
実は千藤先生から特別に三年と一緒に自分の車―行きに乗った安達先輩曰く、気を遣いすぎて滅茶苦茶肩が凝った―に、乗って帰るように誘われたんだけど、本城から北斗の事を聞いていた俺は、その申し出を丁重に断った。
それを知った辻先輩が、「なら防具だけでも」と気を回し、隣に居合わせた白井先輩が、「部室に置いとくぜ」と、俺の手から全ての荷物を奪って行ってしまった。
中身の洗濯は明日の夜になりそうだけど、正直疲れていた俺には先輩達の荒っぽい好意が何よりもありがたかった。
北斗達の待っていた場所と先生の使用した駐車場が、会館を挟んで正反対の位置だったんで、玄関先で三年生と別れ、他の同級生や一年生も一足先に駅に向かい、今右隣りに座る三人が俺に付き合ってくれていた。
座席に落ち着き、電車がホームを出るとすぐに、「ところで」と切り出した。
「何で武道館に来れたんだ?」
自分の試合よりその方が気になっていた俺は、ずっと不思議だった事を口にした。
「なんか中止になるような事情でも起きたのか? それとも…ほんとにサボって来た?」
もしそうなら俺…自分の口を一生塞ぎたい。
そんな思いで隣りを伺うと、
「全部外れ。瑞希、竹刀が手から離れたら勘が鈍るっていうか、完璧錆び付くよな」
揶揄…ではなく「どうしてだ?」と真剣に首を捻る北斗の態度に、殊勝な気持ちは吹き飛び、思わず肘鉄を食わせていた。
「もう! お前はいつも一言多いんだよ! 人がせっかく――」
「はいはいはい」
俺の苦情をおざなりな返事でかわしてクスクス笑い、「本当は駿のおかげなんだ」
正面に座る駿を目で示して、「ありがとな」と言う。
向かいの駿は黙ったまま首を横に振るけど、駿のおかげってどういう意味だ?
それに何で今頃礼を言うのかもわからない。一緒に来たんじゃなかったのか?
「三年の手前、一斉に抜ける訳にいかないだろ」
ふに落ちない表情を読み取った北斗が、すかさず答えて目配せした。
「試合が終了してすぐ、『もしかしたら間に合うんじゃないか』って結城キャプテンが言い出して、俺に『行け』って言ってくれたんだ。もちろんこいつらも後押ししてくれた」
そう説明する北斗と、その隣でにっと笑い親指を立てる山崎を見て、納得した。
北斗の野球再開に俺がたまたま関わったから、そのお返しみたいなものだったんだ。
思いがけないところで恩恵を受け、気が引けたけど、事情を知った俺は、望みを叶えてくれた結城先輩にも、深く感謝せずにはいられなかった。
彼らの存在がなければ今日の優勝はなかったし、勝てたとしても、もっと味気ないものになっていただろう。
「試合が早く終ったのは駿のおかげだから、やっぱこいつが一番の功労者なんだよなー」
北斗の中途入部に話がいかないようにか、山崎が気を利かせ皆の意識を駿に向けさせる。
「駿が功労者、って?」
野球部の試合の結果も知りたくて、即 話に乗ると、山崎が練習試合の内容を、いつもの砕けた調子で教えてくれた。
「それがさあ、駿の奴、俺のサイン通り見事なコントロールで打ち頃の球投げるもんで、相手の奴らすっかり喜んじゃって、油断しまくりでさ。引っ掛けるし打ち上げるし、…まあ守備練習にはなったけど、何だか……なあ?」
三振の山を期待していたらしい山崎が、その速球を相手に見せつけられず、少し不満げな顔で駿を睨み、その隣に座る久住に続きを目で促した。
「えっと……四回裏に成先輩と山崎先輩、それに結城キャプテンの適時打で六点入って。、その時点で十点差になってましたよね?」
久住が味方の攻撃を簡単に俺に教え、山崎に問い返す。
物足りなかった分、ここで会話のキャッチボールをしてるみたいで、何だか笑える。
本当に皆、気が合ってるんだ。
「そ。で五回、相手の攻撃を0点に抑えて、コールドゲームで試合終了、ってわけ。びっくりするくらい早かったよな、一時間かからなかったんじゃないか?」
実は、さっき山崎から話を聞いた時点で、俺には思い当たる事があり、正面で俯き気味に黙って座る後輩に、悪戯っぽく笑いかけた。
「駿、あれやったな?」
すると予想通り、顔を上げ「ええ、まあ」と答えて、困ったような顔をした。
「吉野先輩、『あれ』って?」
武道館からずっと、珍しく口を閉ざしていた渡辺が、久住の隣から少し控え目に尋ねる。
それに答える為、ゆっくりと時間の流れをさかのぼっていった。
一年前には思い出す度、辛くて堪らなかった田舎での日々が、今は懐かしくも愛おしい。
そう思えるようになった自分が、何より嬉しかった。
「――俺達の田舎って、子供が少なくてスポーツクラブもなかったから、集まって遊ぶ時は皆で一つの事しないと人数が足りないんだ。それこそ男女関係なく、その日の気分で」
「ふーん。…友達の家でゲーム、とかじゃなかったんだ」
「んー、俺が持ってなかったせいかな、…皆は持ってたんだろうけど、俺の前ではやってなかった。俺も外で皆と遊ぶ方が楽しかったから、わざとねだらなかったし」
それについての友達の遠慮や、俺への気配りは、両親の事に触れるので省略した。
想像がつかないのか、「はあ…」という渡辺の間の抜けた返事に苦笑しつつ、『あれ』の本題に入った。
「で、野球をする時には、相手を空振りさせるより、打たせて取って、皆がボールに触れるような遊び方してたんだ。バッターも守ってる奴も、突っ立ってるだけなんてつまらないだろ? そんな事したら女子なんか嫌がっちゃうし」
「あ、そっか。確かに、遊びを前提にしたら見てるだけなんて退屈かも」
「だろ? 特に駿は小学生の頃から、狙い球を読んで打たせるのがずば抜けて上手くてさ。…今思うと、コントロールが良かったって事だったんだろうけど、多分今日の試合も『昔取った杵柄』? って言えばいいのか、あの頃のピッチングしたんじゃないかと、山崎の話を聞いて思い当たったんだ」
「なんだよ、そんな芸当ができるなら早く教えといてくれよ」
山崎が俺と駿に文句を言うけど、その表情はいつも以上に明るい。
普段は大人しく控えめな駿の中に、隠された一面を見つけ、単純に喜んでるみたいだ。
「いくら練習でも、本当の試合でそんな大それた事するなんて、思うわけないだろ」
山崎の態度にほっとしつつも、俺の話を興味深そうに聞く野球部の連中に、迷った挙句やっぱり言っておく事にした。
だって駿は、自分からは口にしそうにない。
「――だけど、今回山崎の期待を裏切るようなピッチングしたのは、俺の為……だったんだろ?」
皆も当然気付いていた事を、はっきりと俺の口から言ってやった。
でないともう一つの、駿の隠された本心に辿りつけない。
それの方がこれからの駿には絶対必要なんだ。
膝の上に両手を組んで、駿から目を離さずに続けた。
「あれが上手く行けば、見せ球をそれほど使わなくていいから、試合のテンポも早い。…何より、皆の守備を信頼したんだろ?」
弾かれたように顔を上げた駿が、ゆっくり頷いた。
「だと思った。いくら俺の為でも、この春に自分の守備を心配してた奴が、同じ高校生相手にそんな大胆な事、まして手を抜くような投球、できるわけないからな」
駿の事を、一番よく知ってる俺にしか言えない台詞。
でも、これからは―――。
胸の奥に一抹の淋しさを自覚しつつ、「良かったな」と笑いかけると、また駿が俯いた。
その頬に僅かに朱が走ったのを、左隣の二年が目敏く見つけて一斉にからかいはじめ、本来なら彼らが受けるべき駿の怒りの矛先は、何故かとんでもないところに向けられた。
「でも俺、瑞希先輩にだけは、いつも本気で投げてましたよ」
俺を一瞥した駿が、田舎での野球話を再び持ち出した。「気を抜いたらホームランされかねなかったから」
その誇張に、「とんでもない!」と、慌てて首を振った。
「そこまで飛ぶか! せいぜい外野安打だろ。運がよくてランニングホームランがやっとだったよ。外野なんかセンター一人で、レフトもライトも走り回ってたんだから」
山崎が、「何じゃそりゃ?」と首を傾げ、「どんな野球だ?」と言いたげな呆れた声を出したけど、俺達にとっては苦肉の策だった。
「子供が少ないって言ったろ。野球は最低十八人いないとポジション埋まらないけど、守備の人数が足りなくなっても、やるからには敵味方に分かれないと面白くないだろ」
「負けず嫌いの瑞希らしいが……」
別に、俺一人で考えて決めてたわけじゃないのに、横から北斗もからかってくる。「で、その結果外野の守りが一人か?」
「滅多に飛ばないんだよ、駿が投げたら」
目を瞠って「なるほど」と頷いた北斗が、舌打ちしたくなるような余計な事に気付いた。
「ならもう片方のピッチャーは? 瑞希の同級生なら俺にもわかるか?」
「………俺」
「は?」
「俺が投げてたの」
「え――――っ!?」
北斗以外の全員が意外そうな声を上げ、一斉に俺に疑惑の目を向ける。
その、車両中に響いた大声で他の乗客にまで睨まれた気がするのは、俺の被害妄想だろうか?
目の前で、肩を揺らして密かに笑う駿を、解せない気分で睨みつけた。
「……何だよ、何か文句あるのか?」
「いや、ない。けど、お前ってほんと意外性の多い奴だよな」
俺が野球と絡むと、いつも嬉しそうな表情をする北斗だけど、
「……好きで投げてたんじゃない。みんなが絶対駿と同じチームにさせてくれなかったから、仕方なくだ」
「あ、納得! 二人一緒にさせるとそっちが勝っちゃいそうだもんな」
山崎が前屈みに俺の方を見てニヤニヤ笑う。
「でもさ、吉野も駿のボール打つの、好きだっただろ?」
俺と駿とを交互に見比べ、面白そうに訊いてくる内容は、彼らしく相変わらず鋭くて、俺はしゃくに障りながらも認めるしかない。
「それは…うん。だってこいつ、ほんとに俺にだけ三振取りに来てたんだよ? 次は意地でも打ってやる! って思うだろ?」
「初めて会った時から、遊びでも全力投球でしたからね、瑞希先輩は」
野球部員らしい言い様に、同級生の間に笑い声が広がる。
いつの間にか、少しずつ打ち解けていたんだろう、駿が本当に珍しく、自身の過去を自ら口にした。
「最後のゲームになった時も、…俺の球を真芯で捉えて、ピッチャー返し喰らったんです。それが悔しくて――」
言葉を切って、懐かしそうな、だけどほんの少し淋しげな笑顔を見せた。
「この次は絶対打ち取ってやるって投げ込み始めたのが、俺のピッチャー志望の原点だったんですよね」
膝に置いた指を見つめ俯き気味にする話は、俺はもちろん、ここにいる皆にとっても初耳だったようだ。
「――そうだったのか……」
言いかけて、『最後のゲーム』と言った駿の言葉に、はっとした。
確か夏休み真っ只中、翌日からの臨海学校の為、部活は全て休みで、友達と久々に集まって野球をし、大いに盛り上がったんだ。
そう言えばあの日以来、あのメンバーが揃った事はない。
事情を知らなかった駿達は、変わり果てた二年生の関係に困惑し、疑問を抱いても当然だったろう。
改めて周りが全然見えてなかったんだと、俺も俯いてしまった。
こんな時、特急だと間が持たない。停車駅も急行の三分の一程度、マリンライナーへの乗り換えまでに二駅しか止まらないんだ。
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