終章 ~ 二人だけの祝勝会 ~

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終章 ~ 二人だけの祝勝会 ~

「ご馳走様でした」 「ありがと、義父さん。気を付けて帰って」 〝オアシス〟で夕食を済ませ――俺の疲労を気遣い車で送迎してくれた為、アルコール抜きの食事は、想像以上に短い時間で終ってしまった。  おばさんにも食事中に、「試合の話で盛り上がられても一人蚊帳の外だから、早く帰って弘人さんの撮ったビデオを見たいわ」、なんて言われ、思わず赤面してしまったけど、あれも多分身体を心配したおばさんの、早々に切り上げる為の口実だったと思う。  それにしても、まさか仁科さんまであの会場に来てくれてただなんて、その上ビデオまで撮っていたなんて思いもしなかった。 「田舎のおじいさん達に送ってあげたら喜ぶと思うよ」  俺の試合をひとしきり褒めた後でそう言い、「編集できたら瑞希に渡すから、DVDとビデオテープ、どっちがいいかな?」  押し付けがましくない問いに恐縮しつつも「じゃあ、テープで」と答えた。  ビデオなら、じいさんにもまだ取り扱い可能だ。 「北斗はDVDがいいんだよな?」 「うん、ありがと」 「え! 北斗もいるのか!?」  俺の上げた声にチラッと視線を寄越し、「当然だろ」と言いたげに鷹揚に頷いた。 「頼んだ本人が貰わなくてどうするんだ?」 「だって結局来て、見てたじゃないか」 「二試合だけな」  そう言うと、俺の顔を覗き込みわざとらしく首を傾げる。「何だ? 見られて困るような事でもあったのか?」 「あるわけないだろ!」  怒気を含んだ声で反発し、慌てて口を押さえた。  四人で囲んだテーブルの居心地のよさに、ここがレストランだって事をすっかり失念していた。   まあ、二科さんが仕事を抜け出してまで撮ってくれたのを頑なに拒絶するのも失礼だよな、と気付いてそれ以上は何も言わなかったけど、何でか妙に恥ずかしい。  どうしてなのか、その理由もわからないんだけど、一旦そう感じると頬がどんどん熱くなってきて、結局〝オアシス〟を出るまで、赤みは引いてくれなかった。  俺に続いて北斗が後部座席から降り、それぞれ礼を口にすると、 「どういたしまして、二人共今晩はゆっくり休めよ」  運転席の窓を下ろし、にこやかに応えた仁科さんが「瑞希、疲れてるのに付き合ってくれて、ありがとうな」  と、嬉しそうに目を細める。  先に礼を言われ、戸惑ってしまった。感謝したいのは間違いなく俺の方なのに。  去年の十月、教会の控え室で「北斗も瑞希も私の子供だ」と宣言した通り、いつも俺を北斗と同じに本当の息子のように扱い、こうして気にかけてくれる。  そんな仁科さんとおばさんに、もう一度頭を下げた。 「俺の方こそ嬉しかったです。こんな風に祝ってもらったのって、田舎の時以来だし、それに―――」  言い淀み、言葉が途切れた俺を待つように、「それに?」と見上げられ、 「それに、初めて両親……父さんと母さんに祝ってもらったみたいで……」  言いながら、また頬に熱が戻ってくる。  面と向かってこんな事、普通なら言わないし言えないけど、二人に応えたくて恥ずかしさを堪え口にした。  心の中で思っているだけでは伝わらない事もある。特に何のつながりもない人からの厚意に慣れていない俺は、そんな事でしか感謝の気持ちを表せないから。  エンジンがかかった車内の僅かな明かりの中、仁科さんとおばさんが顔を見合わせ、嬉しそうに微笑むのを見て、俺の気持ちが伝わったのを知りほっと息を吐いた。 「じゃあな」と、言いかけた仁科さんの隣から、 「あ、ちょっと待って!」  別れの挨拶を遮ったおばさんが、足元からガサガサと買い物袋を引っ張り出した。 「頼まれてた物だけど、適当に選んだから好みかどうかわからないわよ」  北斗が頼んだらしい買い物を少し心配そうに仁科さんに渡し、それを仁科さんが窓越しに差し出すと、受け取った北斗が笑顔を見せ、「サンキュ」と答えた。  ……何だろう?   首を傾げる俺に「後でな」と珍しくウィンクを寄越し、袋を手に提げる。  見ると、かなりの重さがありそうだ。 「あとは忘れ物ないわね」 「ああ、大丈夫」 「ほどほどにしときなさいよ」 「わかってる、今日だけだよ。じゃないとお袋に頼んだりしない」 「そういうところ、ほんと要領いいんだから」  半分呆れておばさんがぼやく。  何の話をしているのか会話の内容の十分の一も理解できないけど、北斗を信用してるってのは見ててわかる。  間に挟まれた格好の仁科さんが、事情を知っているのか笑いをかみ殺して、「おやすみ」とだけ言い、アクセルをゆっくり踏み込んでグレーのセダンを発進させた。  テールランプが見えなくなるまで見送って腕時計に視線を落とすと午後九時に近く、平日とほとんど変わらない時間になっていた。 「瑞希、ランディー頼む。俺、これ片付けてくるから」  北斗が袋を持ち上げて見せ、空いた手でジーンズのポケットから鍵を取り出す。  それを見て、預かったキーホルダーを返してなかったと思い出した。けど、返すのは散歩から帰ってからにした方がよさそうだ。  アプローチの段を上がって行く北斗に、 「じゃあ、外で待ってるよ」  と声を掛け、リードの下げてあるカーポートに向かった。    梅雨の合間の晴天だったけど、やはり梅雨らしく、夜風に涼しさは少しも感じられない。  それどころかちょっと歩いただけで何となく汗ばんでくるような、身体にまとわりつく空気さえ重く感じる。  ただし、その半分はやっぱり疲れているせいだと思う。  そういえば北斗も、今日は朝から野球の練習に試合、そして俺の所に駆けつけてまたマリンパークまで行って…と、俺よりずっとハードな一日だったんだ。  それなのにまだまだ元気そうに見えるのは、試合に圧勝したからだろうか。 「北斗、今日の練習試合、お前はどうだった?」  足取りも軽くランディーのリードを持ち、少し先を行く後ろ姿に声を掛けてみた。  電車の中では、北斗とそんな話、ほとんどできなかったんだ。 「んー、さあ……あんまり意味があったとは思えないな」  振り向き、考えるように首を傾げ、「駿の実力、全然出さずに勝ったから、状態としてはよくないかもな」  溜息混じりに答えて背を向けた。  歩調を速め隣に並ぶと、その意図を察した北斗が試合を振り返り、自分の想いを口にした。 「――監督には、今日のピッチングが駿の実力に思えただろうし、駿にとっても自分の最高の球がどれくらい通用するのか、一切わからずじまいだ」  そう言い切って、「駿には、相手が弱すぎたんだよな」  歩道にあった小さな石ころを蹴飛ばした。 「相手もある程度強くないと、力を発揮できないのは、瑞希でも一緒だろ?」 「え、俺?」  突然話を振られ焦った。  確かに…上達するには同等か、それ以上の人との対戦がベストだと思うし、千藤先生も以前同じような事を言っていた。 「まあ、そうかな」  相槌を打つと北斗も頷いて、それから少し照れ臭そうに笑った。 「けど、今回はそのおかげで瑞希の所に行けたから、それはすごくありがたかった。電車での瑞希の話も……駿が少しずつでも俺達に心を開いて、打ち解けてきたのは本当に嬉しい。それに速球だけが得意のピッチャーじゃないって事もわかった。特に山崎には思いがけない収穫だったと思う」 「ならさ、まるっきり意味ないって事はないよな」 「ん、そうだな。俺達と駿との関係には役立ったから、多少は意味もあったかもな」  全く無意味な試合の為に北斗達が俺に気を遣ったなんて思いたくなかった。    ランディーと並んで歩きながら、北斗と話す穏やかな時間。  待ちに待った散歩のはずなのに、ランディーも走ろうとはせず、俺達の話を聞くように歩調を合わせている。  この一時(ひととき)を何よりも貴重に感じていた。
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