終章 ~ 二人だけの祝勝会 ~

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「――新年の祝い酒は絶対お猪口(ちょこ)に一杯飲んでたし、桃の節句も女の子のお祝いだけど、ばあちゃんが甘酒作って飲ませてくれた。他にもおめでたい事がある時は、たいがい日本酒で祝って、俺にも注いでくれたんだ」 「なるほど。…吉野の家ならそういうの大事にしそうだよな。それで? 酔ったりしなかったのか?」 「んー、…小さい頃の記憶はあんまりないけど、中学になったら二、三杯ならどうってことなかったよ、美味しいって思ったかな?」 「なんだ、残念」 「え?」 「いや、安心した。アルコール入って豹変する大人っているだろ? 不思議だったけど、そんな醜態晒したくないから、少しは慣れときたいよな」  とても十六才とは思えないような事を言う。  こんな高校生でいいのか? いや、よくないだろう。本当に今日だけ特別に許すけど。  いつの間にか、お目付け役のような気分になっている自分に気付いた。  ……俺って、根っからクソ真面目な性格だったんだ。  こんな奴と飲んで、北斗は本当に楽しめているんだろうか?   いきなり不安になってきた。 「―――俺のは日本古来のしきたりにのっとって(たしな)んでただけだよ。それに日本酒以外は飲んだ事なかったから、チューハイも美味しいって思う」  もうとっくにグレープフルーツを飲み切って、二番目に選んだ白桃を口にしつつ、 「この果物の甘みが、飲み易さの秘訣なのかな?」  などと、強引に酒談義(?)に花を咲かせる努力をしていると、「かもな」と相槌を打った北斗が、アルコールが入っても少しも変わらない俺の態度に安心したのか、それとも密かに失望したのか……(はなは)だ疑問ではあるけど、 「ちょっと真面目な話――していいか?」  真剣な声で切り出した。 「うん?」と、顔を上げ見返して、全く表情の変わらない北斗に、こいつはかなり飲み慣れてる…と思いつつ頷くと、 「今日、藤木と一緒に見てたんだ」  実は俺もすごく気になっていた、友人の名前を口にした。 「そう。…藤木、何か言ってた?」 「ああ、色々」  言い淀み、白桃のチューハイを飲み切って、空にしたコップを手に言い出すタイミングを計る。  そんな北斗を黙って待った。 「――準決勝で勝敗が決まった時、あいつ……泣いてた」 「そう…か」  ためらいながらも伝えてくれた藤木の様子に、深い溜息が口を突いて出た。 「『二人の試合に感動した』と言ってた。本心だろうけど、目が…藤木さんだけを追ってて、俺まで苦しくなった。…瑞希が負けてたら、そうなったのはきっと俺の方だ」  コップに視線を落とし心の内を明かす北斗に、青りんごのチューハイを注いでやると、顔を上げ「サンキュ」と笑って少しだけ口にし、真っ直ぐ俺を見た。 「準決勝、本当に凄い試合だった。瑞希の……何ていうか、輝きの全てを目にした感じ…かな? 心から感動した。それに、瑞希……最高に綺麗だった」  あまりにもストレートな、思いがけない言葉に、青りんごを飲んでいた手が止まる。  アルコールも手伝ったのか頬に血が上り、無性に恥ずかしくなって咄嗟に俯いた、と同時に何故か視界が潤んだ。 『最高に綺麗だった』と言われ、胸の奥が甘く……切なく震える。  理由なんかわからない。  いつもなら「綺麗なんて台詞は女に言えよ」と文句の一つも言うところだ。  だけど一番欲しかった北斗からの賛辞は、試合の中身と全然関係ないのに、他の誰からのものよりこんなに心を乱され、そんな自分に戸惑ってしまう。  首に掛けていたタオルで顔を隠した俺の耳に、 「―――どうしたんだ? 瑞希」  北斗の訝しむような声が聞こえた。「……もしかして、気分悪くなったのか?」  その心配そうな声音だけで、何だか余計に泣けてきた。  グズグズ鼻をすすっていると、 「なんだ? お前…泣き上戸か?」  自分でも説明しようのない今のこの精神状態を、酒癖で片付けられそうになった。  ちょっと違う気もするけど、もしかして本当にアルコールのせいかもしれない。 『泣き上戸』なんて、経験したことないからわからない。 「そうかもしれない。なんか…北斗の言葉が嬉しかったんだけど……泣けてくる~」  口にすると、本当にもう止まらなくなってしまった。 「………何なんだ、一体??」  その、うろたえながら呆然と呟く声を聞いて、今度は笑いが込み上げてきた。  自分が今、すごく変だってわかっているから、北斗の戸惑いも当然だろうと思うと……。  案の定、クスクス笑い始めた俺を見て、 「瑞希……全然大丈夫じゃないだろ」  不安げな声で様子を見守る。それがなんだか嬉しかった。 「は~、可笑しかった。ちょっとすっきりしたよ」 大 きく息を吐いて、タオルから顔を離した。  飲みかけだった青りんごを空にし、最後に残していたマンゴーのカクテルを掴んで、 「これ、飲んじゃっていい?」  上蓋に手をかけながら一応訊いてみる。 「え!? いや、止めといた方がよくないか? なんか、お前…怖いぞ」 『次はどんな反応するんだ?』と言いたげに、慌てて腰を浮かせかけた北斗に「大丈夫だよ」と答え、力を込めて蓋を捻った。 「北斗は平気だろ? じゃ、今度は俺の番な」  キャップを外し、北斗のコップに中味を注ぐと、残りを俺のコップに。  この一本だけ、アルコール度数6%となっている。  一口飲んで、口当たりの滑らかさと甘い香りに、やっぱりこれが一番美味しいと思った。  なんだか、すごく酔いそうな――― 「藤木さんとの試合で転んだ時、意識が飛びかけたんだ。そしたら北斗の声が聞こえた。幻聴だと思ったけど、びっくりしたせいで何とか気を失わずにすんだ。そしたらあれだよ、『瑞希、足』――」  クスッと笑って視線を向けると、イスに座り直した北斗が決まり悪そうにポリポリと頭を掻いた。  だけど俺は――― 「それを聞いて、北斗が来てるって、確信した」 「聞こえたのか……」 「うん、はっきりと。それまでは駄目かもしれないって諦めかけてたんだ。でもあれからすごく集中できた。藤木さんに勝てたのは間違いなく北斗のおかげだ」  ありがとう、と頭を下げると、 「そんな事ない。お前の実力だ」  そう言って、もう一度コップを持った手を伸ばし、俺の持つコップにコツンと当てた。 「――ありがと。でも、その後で藤木さんが手を抜いたとか、色んな話し声が聞こえて、すごく腹が立ったんだ」 「やっぱり、…それも聞こえたのか」  俯きかけて、弾かれたように顔を上げた。 「やっぱりって、北斗も聞いたのか? まさか…藤木にも?」  こくんと頷かれ、一気に暗い気分になりかけると、北斗がマンゴーのカクテルをゆらゆら揺らしながら、「心配ない」と微笑った。 「あいつは見かけほど繊細じゃないからな。藤木さんへの陰口なんか気にしやしないし、いつでも物事を冷静に捉える心を持ってる」  そうだろ? と目で問われ、納得して頷いた。  そうだった。俺もそんなところに惹かれたんだ。でも俺は、ムーンストーンがなかったら駄目だったと思う。  あれも北斗のおかげだった。 「あ、そうだ」  パジャマの胸ポケットからキーホルダーを取り出して、テーブルの上に置いた。 「渡辺達に見られてたなんて、思いもしなかったけど」 「――え? なら…瑞希の言ってた『お守り』って、これだったのか?」  ムーンストーンを手に取って、見つめながら訊く北斗に頷いた。 「うん、それもありがと。俺一人で勝ち取った優勝じゃない、剣道部の皆と北斗、監督、藤木、応援に来てくれた皆のおかげだ。ただ―――」 「ただ?」 「――松坂さんが……」 「ん? ああ、決勝の相手だったな」 「そう。知ってるのか?」 「まさか」  軽く首を振った北斗が、「藤木が教えてくれた」  と答える。  その返事に、藤木の隣で見ていたならもっとも優秀な解説者を独占してたようなものだな…と、知らず笑みが浮かんだ。  それでも、話の続きは中々口にできず、残りのカクテルを一息に飲み干すと、途端にふわふわと、あやしい気分になった。  けれど、そんな俺のためらいや迷いは、北斗が指に絡めたキーホルダーの宝石(いし)に唇を寄せるのを見た瞬間、見事に吹き飛んでしまった。  ドクン、と心臓が大きく脈打ち、思わずテーブルに手をついて立ち上がった。 「ちょっ……なんでお前まで―――」  喚きかけた途端くらっと眩暈がして、投げかけた言葉は身体と共に沈没してしまった。  イスに座り込み、ぐったりして背もたれに身体を預けると、 「何やってんだ? 瑞希」  呆れたような声に続いて、「ちゃんとお前を守ってくれたんだ。お礼のキスくらいしたってかまわないだろ?」  ……照れもせず、平然と尋ねる北斗の中に、どうやったら恋愛感情を見つけ出せるって言うんだ? 「いいけどな! どうせお前の宝石(もの)なんだ」  言い捨ててテーブルに突っ伏し、やけくそ気味に心の内をさらけ出した。 「打ち合って、すぐに松坂さんが俺を対等に見てないって……気付いた」  くぐもった声で話し始めると、チャリ、と音がして、北斗がテーブルにキーホルダーを置いたのがわかった。 「その事が悔しくて…情けなくてさ。――本当ならあんなに簡単に勝てるはずないんだ。なめられて油断して、できたその隙を俺が……衝いた。優勝しても、ほんとは最低の気分だった」 「瑞希」 「そんなところへ藤木さんが来て、さっきみたいな事を言ってくれたんだ」 「さっきみたいな…って?」 「優勝は自分一人の力じゃないって事。落ち込んでたら、俺を応援してる皆にも、藤木さん自身に対しても失礼だって、怒られた」 「そうか」  北斗の溜息が聞こえた。「さすがだな。剣士として以上に、人間として尊敬できる人だ」  俺と同じ想いを口にする。 「うん。俺も、そう思った」 「そういえば、俺もお前のファンだっていうおじさんに会ったぞ」 「え、…ファン?」  頭だけ起こして北斗に聞き返すと、 「ああ、準決勝の前、会場に着いてすぐにな」  その時の事を思い出したのか、柔らかな笑みを浮かべ教えてくれた。 「瑞希のおじいさんと同じくらいの年齢に見えたかな? その人に『藤木もいいが吉野君の応援もしてやってくれ』って、頼まれた」  楽しそうな北斗の様子が、初めての人の言葉を、俺にあっさり信じさせた。 「そっか、……あの会場で、俺を応援してくれてた人が……本当にいたんだ」  そう呟いて、ようやく心の底から満たされた気持ちになった。  安心感が漂ってきて、もう一度、自分の腕に顔を埋めた。  ……多分俺、ここでまた寝てしまいそうだ。  でも構わない、今日は北斗に甘えることにする。  酒を飲ませたのは北斗だ。こうなる事も多少は覚悟の上だろう。 「あれ、瑞希? …何だよ、結局は弱いんじゃないか」  ―――いいや、弱いんじゃなくて、疲れがピークに達しただけだ。  と、心の中で答えても、口は少しも動こうとしない。 「……しかし、わけわからない奴だなあ。泣き上戸で笑い上戸で……ちょっと怒ってもいたような。…で、最後はいつもの爆睡か?」  椅子を引く音がダイニングに響き、静かに近付いてくる気配と、低く、穏やかな声が耳元で聞こえた。 「でも、あんまり飲まさない方がよさそうだな」  僅かに横を向いた俺の頬に吐息がかかり、柔らかく温かいものがそっと押し当てられた。  ……何だ、寝ている俺には、こんなに簡単にキスするんだ……。  ぼんやりと頭の隅で考えて、でもそんな事で眠りを妨げられたりしない。  親愛の情からの、軽いキスだって、わかる……。  北斗の、感情のこもった口付けは……もっと熱くて、激しくて……  全てを絡め取り、奪い去っておいて、そのくせ容易く恍惚へと(いざな)う。  俺は、それを知っている。 「お疲れさん、ゆっくり休め」  その声に心の中で頷いて、早々に意識を手放した。
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