約束の場所へ

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   あの日から一年と二ヶ月余り。  俺は、瑞希のインターハイ予選がまだ終了していないことを祈りつつ、大会会場のある街に向かう電車に、一人乗っている。  何度か踏切りの警告音が聞こえ、長い鉄橋に差し掛かった。  川原では気の早い大人が車を乗り入れ、バーベキューらしきものをしている。  俺達のいつも行く川土手もそこそこの広さはあるけど、車の乗り入れが出来ないからか、遠くから来る物好きはいない。  せいぜい犬や子供の散歩か、ウォーキングする人のトレーニングコースになっているくらいで、特に夜はほとんど誰も通らない。  だからこそ打ち明けてくれた、瑞希の苦悩……。  知らず、やるせない溜息が口をついて出た。  今も、あの夜の事を思うと胸が痛む。  同じ年齢の健康な男子にとっては、重過ぎる苦しみ。  それまでの瑞希が意外にも明るく活発で、見かけに反してころころと表情を変え、屈託なく笑いかけるから、その笑顔の裏側にあれほど深刻な悩みを抱えていたなんて、本当に思いもしなかった。  俺の膝に顔を伏せ泣きじゃくる瑞希に、掛けてやる言葉もなく、無力感にさいなまれた、苦い思い出。  だけど、瑞希にとってそれが過去になる事はない……ずっと現実の苦しみ。  あれから俺には時々自分から身体について口にしたり、涙を見せたりする事もある。  けど、その都度まだ変化がないと気付かされる。  当然俺からは聞けない。  ただ、どんな些細な兆しでも、何かあったら瑞希はためらわず俺に教えてくれる、それだけは自信がある。  それがいつになるのかはさっぱり見当もつかないし、あの気質ゆえ身体の成長も人並み外れて遅いのか……と思う時もあるのだが。  もう一つの救いは、瑞希の赤ちゃんに対する激しい憎悪と、それ以上の強い自己嫌悪。  俺の勝手な憶測で瑞希も半信半疑だけど、本当にそれが原因なら赤ちゃんへの憎悪が消えた今、身体の悩みも近い将来必ず克服できる。  その時には瑞希の未来の為に、笑って「よかったな」と言わなければいけない。  そして、この想いは俺だけの胸に……  わかっているのに心が揺れる。  あんな事さえなければ気付かずに済んだかもしれない、瑞希への、このどうしようもなく激しい欲望―――  瑞希が田舎の同級生を誤解して怖れ、逃げ出してきた原因が、俺の中に(おり)のように淀んでいるのを、あいつは……知らない。  ズボンのポケットを探り、突っ込んできたネクタイを引っ張り出して、一番上のボタンは外したまま形だけ締め、深緑のビロード調の座席にもたれて目を閉じた。          
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