約束の場所へ

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 いつの間にか、手の平に爪が食い込むほど、こぶしを強く握り締めていた。  目的地の駅までは、あと十分くらいだろうか……。  わかりきっていた事なのに、その夢のような時間から現実に引き戻されると、空しく…深い哀しみだけが心を支配していた。  永遠に気付かれることのない、気付かせてはいけないこの想い。  あの後、もう一度コップを手に取り、贖罪のように再び呼びかけた。 「瑞希、喉…渇いただろ、ほら水……今度は飲めるよな」  最初と同じに水を唇に触れさせると、こくんと喉が動き、続けて二、三口飲んでくれた。  それだけの事が泣けるほど嬉しくて……自分の罪が、減った水の分だけでも許されたみたいで、心がほんの少し軽くなった。 「―――瑞希、ごめんな……」  コップを盆に戻し、閉じられた瞼にキスを落として、赤みが心持ち引き、すっきりした頬に自分の頬を摺り寄せた。  腕の中で眠る愛しい瑞希に「愛している」とは、もう言えない。  想いを振り切るようにその身体を強く抱き締め、布団の上にそっと手放すと、しっかりした重みと、温もりの消えた(かいな)は思った以上に寒く……淋しさが胸一杯に広がった。     上掛けをなおし、タオルを額にのせ、盆は邪魔にならないよう部屋の隅の机に置いて、後ろめたい気持ちを抱えたまま孝史を待つ俺は、瑞希の寝顔すらまともに見る事ができなくなっていた。             瑞希――吉野への、自分の気持ちを自覚してから、お袋達とオアシスで食事するまで、俺は瑞希への愛情を隠す気は更々なかった。  気持ちを押し付けたり、まして告白する気もなかったけど、瑞希がどう受け取ろうと隠したりせず、堂々と傍にいたかった。  いつか俺の本心を瑞希が知り、もしかして俺の方を向いてくれたら、あいつの身体への負担や気負いみたいなものが減るかもしれない、とも考えていた。  それには同性という事さえ都合がよかった。   事故直後の…死の間際の母親との会話で、深く傷付いた幼い瑞希が、自分の心を守る為に記憶を封印し、その事を思い出した時、それを罪と思い込んで自分を責めた。  それどころか、無意識の内に自分の身体にもストップをかけているのかもしれないと気付いた時、外見ではなく内面から溢れ出る瑞希の魅力――どこまでも純粋で真っ直ぐな、その精神の気高さを、再び目の当たりにした。 俺の愛情(きもち)は瑞希の将来に、障害になると悟らざるを得なかった。  幸せな家庭を築く資格を誰よりも持っている瑞希の、邪魔になんかなりたくない。  その為には、幼い日のままの俺達であり続けるという事。  それでも、これまでの十一年以上に幸せだと思えた。  瑞希が生きて、隣で笑ってくれるなら、他には何も望まない。  愛しくて堪らなくなり、何度か触れた心からの口づけも……全て忘れ、二度と恋愛感情を持って瑞希には触れないと誓った。  だから、瑞希を幸せに……身体を、早く元に戻してくれと。  それなのに、異変を察しただけで理性が吹き飛び、自制心まで失くしてしまった。  その結果が、瑞希への激しい欲望。  ―――最悪、だった。  半年も前の事なのに、あの出来事だけはあまりにも鮮明に俺の心に刻み込まれ、思い出す度、深い後悔と、至福の悦びを与え続ける。 そしてその都度、自分の卑劣さと、瑞希への欲望が俺の中に蓄積されていく。  自分が……怖い。  このままだと、いつか壊れてしまいそうだ。  でも、瑞希とまた離れるなんて、もう考えられなくて―――  ………苦しくて堪らない。  誰でもいい、どうすればいいのか、教えて欲しい……。  
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