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一ヶ月くらいは経っただろうか。
そう言えばあの自称超能力者の人は『地下室』に全然来ていない。
また来るって言ってたのに。
…やっぱり実は本当に超能力者で、俺の醜い心を読んじゃって、もう来るのは嫌になっちゃったのかな。なんて。
そんなあるかどうかも分からないことをぼんやりと考えながら俺はまた窓際を見遣る。
うん、こっちはやっぱり居る。
今日も目立ってるなぁ。
自称超能力者の人は来なくなった。
そのかわりと言うか、入れ替わりの様に翠の瞳の美人さんはほぼ毎日喫茶店に来るようになったのだが。
不思議とあの人は俺に興味を持っているようだった。何でだろう。
俺にばっかり注文頼んでくるし、接客中にもやたらと目が合うし、お会計の時にも他愛ないことを雑談したりするようになった。
一回一緒に帰ったからかな?それだけで?
いくら常連さんでもこんなに親しくすることなんてないのに。
だけどそれよりもっと不思議なことがあるんだよなぁ…。
まぁ俺の思い違いか、ただの偶然だと思うんだけど。
あの窓際の美人さんが喫茶店に現れるようになってから、『地下室』のお客さんが激減したのだ。
おかげで俺は喫茶店の方に駆り出され、接客の方に精を出す日々なのだが…何で?
今までこんなに上の方で仕事することなかったのになぁ。本当変な偶然。
あの窓際の席はもうすっかり彼の特等席になっていて、ほぼ毎日、日当たりの良い時間になると当たり前のように彼は居た。
まるで暖かい場所を覚えて昼寝する猫のように、日に当たりながら俺を見つめたりたまに窓の外を眺めたりしている。
だから何で俺を見るんだ、出来るならずっと店の外の方を見ていて欲しい。
気になって仕事が手につかないだろ。
そして窓際の、外からも店内が見渡せる場所にあんな美形が座ってるせいもあるのか、喫茶店の方は今までに類を見ないほどの大繁盛だ。
元々人気があった店ではあるが、今はその比ではない。正直猫の手も借りたい状態である。
これは気のせいとかじゃなくて、絶対あの人のせいじゃん。
店的には嬉しいんだろうけどさ…。地下でのまったりとした仕事に慣れきっていた俺には、ぶっちゃけ体力的にもきつかった。
こっちはこっちで楽しいけどさ。
そうしてこの忙しさにもちょっと、ほんのちょっとだけ慣れてきた頃。
「ところで店長、このお店は良い香りがしますね」
「香り、ですか」
ちょいちょいと彼が呼びつけたのは俺ではなく、店長だった。
そして俺はその傍らのテーブル席を片付けながら、彼らの会話を聞いてしまった。
というか香りって…コーヒーのかな。
喫茶店だからコーヒーの渋い香りが漂っていてもおかしくはないけど、わざわざ指摘するほど強いものだろうか。
俺はずっとこの店内に居る時間が長いから、分からなくなってるのかもしれない。
「お褒めいただき光栄ですわ。飲食店ですし、長く気持ち好く過ごされる空間を目指していますから」
「いえそうではなく」
朗らかに微笑む店長の言葉を、更に朗らかな微笑みで遮ってその人は言った。
「僕が言っているのはもっとこう…すごく甘い匂いです」
え、コーヒーのじゃなくて?
「コーヒーの、ではなくてですか?」
俺と同じことを思ったらしい店長が訊いた。
「ええ。とても甘い。そして強い。店の外からでも分かるくらいに」
「…それはおかしな話だわ。うちはスイーツも提供しておりますが、そこまで匂いの強いものはございませんもの」
「はい、だからどうしてかなって。不躾なことを申しますがこの香りは…僕には少し、強過ぎる」
まるで、そう。
虫を呼ぶ蜜のような甘い甘い香りがすると。
彼がそう言った途端、店長は一瞬目を見開いていた。けれどもすぐにいつもの柔らかな笑みを湛えて、呟く。
「そう、ですか。そうでしたか。うっふふ。………やはり」
どうしたものか。
全く話が飲み込めない。
甘い香りなんてするだろうか?
店長の言う通り、スイーツの香りくらいならばするかもしれない。
けれど彼の言う、店の外まで届くような強く甘い香りというものが、俺には全く感じられなかった。
「思ったよりも厄介なモノに目を付けられてしまったし…店舗移動しようかしら。初めはいい客寄せになると思ったのにねぇ」
「店長?どうかしたんですか」
店の片づけを終えてスタッフ専用の休憩室に入ってきた俺を、店長は一瞥もくれずに「お疲れ様ー」と迎え入れた。
入る直前に何やら独り言のような声が聞こえたが、悩み事だろうか。
「いいえ、ちょっとね。店もお客さんが増えてきたし、もう少し広い場所に移ろうかしらーなんて考えてたとこ」
「引っ越しするんですかっ?!」
「ただの思い付きよ。とは言え私もこの場所が気に入ってるから、しないと思うわ」
ほらまた。花がぶわりと開くような微笑みはこの人の武器でもあるんだと、面接の時からどことなく感じてはいたけれど。
この人は、店長は本音を隠すのが上手いんだよなぁ。
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